月夜に街、よみがえりて

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「山の中に入ったまでは良かったんだけど、途中で山道が途切れてて、そこからはさっぱりでね……」  彼が想像した以上に、樹々の成長は著しく、大地の変化は大きかった。目的地まで続いていた筈の山道はぶつりと途切れ、それでも記憶を頼りにと突き進もうとした結果、月明かりにさらされながら立ち往生するハメになっていたのだと、サトと名乗る男は白状した。 「ふーん、そうまでして里帰りなんて、立派なもんじゃねぇか。お前以外にそんなやつ、今まで見たことないぜ。故郷に顔を見せに行こう、なんて奴はよ」 「そう……かな」  呟くサトの声が落ち込んだようで、狸は慌てて慰める。ここで気が変わってやっぱり帰る、なんて言われては困るのだ。 「いやいや、お前さんが気にすることじゃねぇよ、他の奴がどうかなんて気に病んだって仕方ねぇ、お前さんが来るってだけでも、故郷の奴らは喜ぶだろうしさ……ご両親でも住んでいるのかい?」 「いや……結構前に、みんな出て行っちゃったから。今はもう誰も住んでない筈だよ」  成る程、それなら確かに、このサトという男は奇特な奴だ。 「いやいや、それにしたって立派なことには変わりねぇさ! 人はいなくても、故郷の土地は、お前さんを見て大喜びしてくれるだろうよ!」 「……ふふ、ありがとう。君は、いつからここにいるんだい?」 「俺はだいぶ昔からだ。この山の生まれだからな」 「あぁ、じゃあ僕と同じだ。僕も今から行く所で生まれたんだよ」 「へぇ、そりゃあいいや。昔はそりゃあ、色んな奴が出入りしていたもんだが、今じゃ外からくる人間なんてさっぱり見かけなくなってなぁ」 「ははは、年寄りみたいなことを言うね」 「うぉっほん、おほん! はは、まぁな!」  誤魔化すように咳をする。どうも口が滑りがちだ。久々の人間相手に緊張でもしているのか。 「君の故郷って、どんなところなんだい?」  切り替えるように、サトが訊いてきた。 「山奥の街さ。前は人げ……別の奴らが住んでいたんだが、気がついたらいなくなっていてな。自分たちの生まれ育った故郷を捨てるなんて、とんでもねぇ奴らだよ。街が可哀想だ……。まぁ、なんで、そいつらが戻ってくるまで、代わりに住んでやっているのさ。生まれ自体は、街がある山のもっと奥だ。化かし山って呼ばれていたが……まぁ、知らねぇか」 「化かし山……」 「おう。昔はそれなりに賑やかだったんだぜ? 俺……の爺様が言っていたけどな、毎年この季節にはお祭りをやっていたことだってあるんだとさ」 「へぇ、それはいいな……僕はそういうの、一回も見たことないから」 「なんだ、祭りを知らないのか?」  自分たちですら知っている人間の催しものを、当の人間が知らないのは不思議だった。 「昔はそういうのがこの辺りであった、っていう話は聞いたことがあったけど……僕がいたところでは、結局誰もやろうとしなかったからね」  そういうものか、と首を傾げつつ、頷く。人間は宴を好むのだと思っていたし、だからこそ人を化かす際は、絢爛たる光で誘き寄せ、豪華な食事やもてなしで、心を浮つかせるのが常套手段だった。  だが一方、人間はそういうものに興味を惹かれなくなっているとも、狸は何となく察していた。自分が知る街の人間も、山に来なくなった頃には、そうなっていたのだろうか。 サト好みの幻で騙す為にも、彼のことをもっと聞き出すつもりでいたが、それ以上に、狸はサトに興味を抱いた。 「サトの故郷ってのは、どんなところだったんだ?」 「どんな……んー、元々は、森の中で誰にも、何にも頼らず生きていけるかどうかの実験……みたいなのをする為に作られたんだ。生きる為に必要な機能を片っ端から圧縮して、一つの囲いの中に纏める。そこが問題なく動くかどうかを確かめる為の街。住民達は、その実験の手伝いみたいなものだったんだよ」 「ふーん、変なことをするんだな」 「大事なことだよ。上手くいけば、わざわざ自然を壊さなくても、文明的な暮らしを維持することが出来るし、砂漠や南極みたいな不毛の地でも、援助に頼ることなく生きていけるようになれば、それはとても良い事だ」  よくわからないが、住処が増える、ということが悪いことじゃないのは、狸にもわかった。 「だけどよぉ、じゃあなんでお前の故郷は今誰も住んでないんだ?」 「実験が終わったからね」  不味いことを訊いたか、と様子を伺うと、サトは悔やむでもなく、自嘲するでもなく、ただ哀し気に、沈痛な表情を浮かべていた。 「世界は思ってた以上に広くって……想定しきれなかった問題がいくつも出てきた。新種の病気が流行り始めて、何人かあっという間に死んじゃったのを見て、これは不味い、ってみんな逃げていったんだ」 「そりゃあ、碌でもねぇ奴らだな。自分で作って自分で捨てるなんざ、その故郷が浮かばれねぇよ、可哀想に」 「みんなにとっては、ただの実験場でしかなかったからね、仕方ないよ。……でも、そうだな」  立ち止まり、サトは空を見上げる。つられて見上げたが、さっきまで見つめていた夜空は、何も面白いものじゃなかった。 「お祭りとか、一度くらいはやってみたかったなぁ……」  その言葉を聞いて、爺狸はなんだかとても、このサトという男が可哀想に思えた。故郷はとうの昔になくなり、いつまで待っても、誰も戻っては来なかった。そして今も、彼と共に来てくれる同胞もいない。 (あぁ、そうか)  狸はふと、サトと自分の共通点に気付いた。この男も、我々と同じように待っていたのだ。自分の故郷を、復活させるその瞬間を、待ち焦がれていたのだ。 「ところで、随分歩くけど、君の住処まであとどのくらいなの?」 「え? あぁ、もうすぐそこさ、すぐそこ」  嘘ではない。実際目の前の樹々を抜ければ、目的地は目の前だった。  が、 「……すまん、サト! すぐ戻る! 本当にすぐ戻るから、ちょっとだけここで待っててくれ! 動くなよ! 絶対だぞ! 足踏み外して転げ落ちるからな!」  突然の申し出に驚きながら頷くサトを一旦置いて、狸は一足先に、街へと戻っていった。
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