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米を入れる前に塩が重要
――――ピンポーン
午後の日差しにまどろみながら、不意になった呼び鈴の音。ソファで気持ち良くウトウトと閉じていた眼をこじ開け年老いた身体を起こすと玄関へ。
「……あ?」
近所の回覧板か何かだろうと思っていただけに、扉を開けた先に居る人物に眼が丸くなる。
「よぉ、じーさん」
「元気そうじゃん」
孫の年の離れた友人とでも言うべきか、朝比奈東伊と新名。
やたらとデカい最近の若者の訪問に見上げるしかない桔平の祖父、水渡初喜は、はぁ?と顔を歪めた。
*****
一体何の用事でやってきたのやら。
疑問はすぐに膨らむが一応客人兼孫の友人。いそいそと麦茶を淹れつつ、茶菓子に近所から貰った黒糖ドーナッツ棒を添える。
「ほら」
粗野な物言いだが、きちんと来客用の湯呑に小皿。
礼儀を弁えた老人からの精一杯のおもてなしに東伊と新名がふっと眼を細めた。
「で、今日は何の用だ」
やたらと顔がいいこの二人。
孫と同じマンションに住み始め、何かと良くしてもらっているのは知っている。
まだ小学生だった頃に桔平が知り合った、当時高校生だった二人に初喜は最初それなりに警戒も持っていたのだがこんな老人とも嫌な顔一つせず、アドレスの交換、アプリメッセージでの交流とそつの無い行動、そしてそれ以上に孫が毎日嬉しそうに話をする様にそれなりに信頼を持っていた。
だからこそ、今日二人が此処に来た意味が分からない。
もしかして桔平に何かあったのだろうかと一瞬思ったものの、だったら東伊と新名がこんなに落ち着いている訳も無い。
「あーちょっとご挨拶、みたいな」
「ご挨拶?」
何を今更と首を竦めた時、だ。
「お孫さんを俺等にください」
「―――――――は?」
鳩が豆鉄砲を食った顔と言う顔の見本を作り上げてしまった初喜から出た声は自分でも分かる間の抜けた声。
そりゃそうだ。
いきなりやって来た孫の友人から孫をくれと言われたのだ。
真顔で、淡々と、それが当たり前のように。
「―――ま、て、は?何つった…?」
聞き間違え、そうだ、聞き間違えかもしれない。
引き攣りそうになる顔を何とか抑えつつ、誤魔化し紛れに笑顔を作ろうとするも、
「何だよ、じーさん。耳遠くなった?」
「もう夏だし、体調悪いなら病院行っときなよ」
要らぬ心配を受ける羽目となり、ぴきっと身体を強張らせた。
「いや…違うだろ…お前らがいきなり可笑しい事言い出したからだろ…」
「可笑しい事なんて言ってねーよ」
「娘さんを下さいって言う、ベタなやつを孫バージョンにしただけど」
「………何で孫バージョンにした」
違う。
突っ込む所はそこじゃない。
はっと我に返った初喜は取り合えず深呼吸。一応これでも彼等より五十年程多く人生の先輩をやっている。
落ち着くべく、自分の湯呑の茶をずずっと啜ると、顔を上げ二人と対峙。
「で、えー…桔平が、何だって?」
「だから、きっぺーを俺達で幸せにしたいと思って」
相変わらず涼し気な顔でさらりと衝撃発言する東伊に続き、
「やっぱ親のじーさんには一言あるべきだろうなと思って」
年老いた同性から見ても、綺麗な顔だと常に感心する新名も畳み掛けるものだから、初喜の前頭前野が活性化していくが、どれだけ考えても分からない。
いや、分かっているのだが、まさかと思う部分が大きいだけなのだ。
まさか、とは思う、のだが、
「……………お前らって…もしかして桔平に好意を持ってるって意味合いでいいのか…?」
「あ、そっからなんだ。気付いてるもんだと思ってた」
「そうそう、これつまらないモノですけど」
今更に手土産を出してくる新名から反射的に受け取ったそれは老舗の水ようかん。一緒に住んでいる女性も好きだけど中々高くて手が出せないと言っていたのを思い出し、素直に礼を言ってしまう初喜に二人も頭を下げた。
「じゃ、そういう事で」
「や、待て、そう言う事じゃない!これで買収しようと思ってないだろうな、お前等っ!!」
危ない危ない、まさかの水ようかんと孫をトレードしてしまうところだった。
妙な汗が流れてくるのを手の甲で拭い、ふんっと鼻息荒い初喜はじっとりと目の前の二人を見詰める。
「………桔平は何と言ってるんだ?」
「さぁ。まだ返事は貰ってないんだよね」
眼を伏せる東伊もグラスの麦茶を一口。新名は茶菓子を摘まむと、袋を開け中身を一つ頬張った。
「ダメならダメで仕方ねーし。でも一応期待はあるからさ」
「―――………」
桔平は告白は受けたものの、返事を保留している、と言う認識であっているのだろう。
(そりゃ…アイツもビックリしただろうよ…)
幼い時から兄弟のように、友人のように接していた男から告白をされるとは。
さて、どうしたものかと思いはするものの、実際どうするかは桔平が決める事。
同性愛、複数での交際なんて気にもならない様子の初喜はふむっと肩を竦めた。
どっちみち恋愛等はお互いの気持ちが一番大事なのだ。
勿論自分本位で動いてしまえば息子のような馬鹿が生まれるのも重々承知ではあるが、桔平はあんな男では無いのを知っているだけに好きにやらせてやりたい。
そんな事を考えながら、どう返事をしようかと思っていれば、また東伊が口を開いた。
「流石に下さいって言うのはきっぺーは物じゃねーし違うとは思うけどさ。ただ、少しだけ俺等を信用して、見守ってくれると嬉しいってだけ」
「傷つけるとか無いし、裏切るとかもぜってー無いしさ。ただずっと一緒に居たい」
それは本音だ。
紛れも無い彼等の桔平に対する本音。
家族の前だからか、生々しく露骨な愛情表現は使ってはいないが、気持ちが伝わるストレートな言葉。
(まぁ…二人とも傍目から見てもすげー可愛がり方だったしな…)
しかも、甘い雰囲気が漂う、少し近寄りがたいとも思えるくらい。
桔平も幸せそうだった、と――――。
「あー…、」
ガシガシと頭を掻き、ぽいっと菓子を口へと放り、音を立てながら咀嚼する初喜は小さく息を吐いた。
「……泣かせたら、お前らのツラ見れねーことになるぞ」
精一杯の脅しはこれだ。
全く何が悲しくて孫の将来の嫁、伴侶がこんなにデカい二人になってしまうとは。
この場合は婿か?なんて、どうでもいい事に悩むが今更どうでもいい。
「笑わせてやってくれよ…」
「当たり前だろ?じーさんも何かあったら、連絡しなよ」
「きっぺーのじーさんも家族だしな」
本音に本音で返す彼等に不安はないようだ。
(何処までもいい男ってか…)
帰りに高菜の漬物を持たせ、初喜はやれやれとまた息を吐いた。
願わくば、孫が何も悩むことがないようにーーー。
それから数時間後、桔平が知恵熱を出したと東伊から連絡があり、塩味のたまご粥の作り方をレクチャーする祖父の背中は何とも言えない哀愁を漂わせ、同居人を心配させるのだ。
終
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