チーズケーキはワンホール

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だが呑気に汗を拭っている場合ではない。 「何すんだよっ!!」 埃をかぶり、こちらを睨み付ける一年生に十時のこめかみからじんわりと痛みが伝わる。 「…それはこっちの台詞なんだけど…お前誰?」 「…は?あんたこそ、誰なんだ、」 訝し気に眼を細めていた後輩だが、次第にその眼は大きく見開かれていく。 「…………え、も、しかして、あんた、が、楓先輩の…」 指差す手が震えているように見えるけれども、一体何故だろうか。 「…………内山田十時だけど」 はじめましても付け加えるべきかと思ったものの、それよりも先に目の前の男がふるふると首を振った。 「し、信じられねー…普通じゃん…普通って言うか、…普通じゃん…」 普通。 三回も言われた。大事な事でも二回がお約束だと言うのに、三回も。 それしか言いようがない、もしくは語彙力が著しく低いのかもしれないが、あまりな態度に十時の眉間も限りなく狭くなっていく。 「……何な訳?ちゃんと説明しないと分かんねーだろうが」 言われている事も一理あると思ったのかどうか、定かでは無いが、一年はふんっと鼻息荒く肩を怒らせると少しだけ高い位置にある十時へと顔を上げた。 ***** 話を聞くと、まぁ分かりやすいものではあった。 この一年生、名を黒木貴文と言う。 何でも小学生の頃に偶然紹介してもらった空手道場で、当時ばりばりに現役だった楓と志木を見かけ、憧れで門下生に。 その後、志木は高校で空手部をそのまま続行と言うのを聞きつけ、入学してきたらしいが、中学で空手を辞めてしまった楓に未練はたらたら。 その上、この男子校で恋人まで出来たのだと余計な事を聞いてしまったらしい。 川添志木により。 ついでに憧れの楓の恋人にもご挨拶したいと申し出したところ、有難い事に名前も教えて貰ったのだと。 川添志木により。 本当に、 (余計な事してんなぁ…) 脳までも筋肉で出来ているだけある。 滲み出る志木への憤りもさながら、それよりもとこの黒木と言う男に視線を遣る十時は溜め息ひとつ。 「で、なんで声掛けて来たわけ…?」 本当に挨拶したかったわけではないだろう。 だとしたら、その意図は? 「あー、授業終わりにあんたの教室ダッシュで行ったら、ちょうど教室出て行った三人組のひとりだよ、って指差して教えて貰って」 誰がどうやって声を掛けたかの話をしてるんだ。 「んで、その中で比較的まともな顔してる奴が楓先輩の恋人だろうな、って」 「……………」 何だろう、この微妙な納得感と敗北感は。 (真っ先に河野に声を掛けた理由はこれって事だな…) どうしよう、溜め息が止まらない。ロマンティックであっても困るけれど。 「…それで俺に何の用?」 「志木先輩が楓先輩は空手には戻らないって。恋人の為にとか、言うから…」 「……あー…」 切っ掛けは十時ではないかもしれないが、決定打は確かにそうかもしれない。 十時の為にチーズケーキを作る、それを生業にしたい、と言う将来を楓は考えているから。 「だから、あんたが居るから楓先輩が空手出来ないんだろ?」 「何でそうなる」 咄嗟に出たツッコミだが、黒木はそれを聞いているのか聞いていないのか、ふんっと胸を張ると、生意気そうなその眼を歪めた。 「さっさと別れて楓先輩を開放して欲しいんだけど」 「……………」 さて、どうしたらいいものか。 人の話を聞いていないのか、理解出来ないのか。 どちらにしても河野や志木と同じ匂いがする新入生に楓の声が脳内に響いた。 『河野とか志木とはまた違うベクトルで面倒つーか…』 なるほど。 どう答えたらベストなのか、火種を広げず消化できるのか。 色々と考える十時の顔色があまり宜しくないものへと変化していくが、黒木は止まらない。 「俺は本当に楓先輩を尊敬してるんですっ!それなのに恋人が男で…しかも、普通の男で、空手まで辞めて…!全然釣り合ってないっ!」 「はぁ…」 「はぁ…って、あんた本当に楓先輩の事考えてんのかよっ!」 「それなりに…」 と、言うか将来の話もしているくらいには。 「それなりに、って…!」 何やらまだぎゃんぎゃん言って来るが、いい加減煩わしい感情の方が大きくなってきた。 何だかんだと今言葉で説明しても理解が出来なさそうな男。 こう言う男の場合はどう解決したらいいだろうか、そう、答えはひとつ。 「分かった、じゃ勝負しようや」 「―――え、は?」 どいつも、こいつも、だ。 ***** 気に喰わないと言わんばかりの楓に膝の上でご機嫌をとるかのように腕を回す十時は、何故に男と二人で人気のない教室に居たかを説明。 「だから、僕の電話にも気付かなかった、って事?」 「そうそう、」 黒木と別れたあの直後。 スマホを見れば大量の着信とメッセージ受信により電池が三分の一減っていた程。 誰に聞いたのか、十時が男と二人でどこぞに消えたとの情報に殆どが楓からのモノあったのには流石に驚きが隠せなかった十時だが、 「心配してくれたんだ、ちょっと嬉しいかも」 ごめんと謝りつつ、ふふっと笑えば呆れたように楓からの溜め息が首筋を撫で、ついでにがぶっと噛まれる。 「だから言ったろ、僕と一緒の時にしろって言っただろ?」 「しかたねーじゃん、不可抗力だって」 「不可抗力とか言えば何でも良い訳じゃねーぞ、十時」 「分かってる…け、ど、あ、そうだ!」 「何?」 痛みと低い声にびくっと反応しながらも、楓の身体を一旦離すと十時は、申し訳なさげに両手を合わせた。 ――――ちょっと、お願いがあるんだけど。
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