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数日後、指定された部屋へと通されたそこが憧れの楓と志木の部屋である事に緊張しつつも、室内の空気を保存すべくビニール片手に現れた黒木はテーブルにある三つのケーキに眼を丸くした。
「……何すか、これ」
「チーズケーキ」
「見れば分かっ…!!あ…それは分かるんすけど、何でチーズケーキ…?」
そう並んでいるのはチーズケーキ。
オーソドックスなレアチーズケーキ三つを前に意味が分からないとばかりに呼び出した十時に声を荒げようとした黒木だが、優雅にソファに座る楓とその隣に居る志木の手前、自身を抑えるかのように拳を握りながら問う。
「これさ、ひとつは楓先輩ん家のケーキで、もうひとつは先輩自身が作ったやつなの、もうひとつは適当に買って来たやつ。で、これを食べ比べてどれが先輩のか当ててもらうって言う勝負をやろうかと。ちなみに全部先輩が用意してくれたから俺は関わってないから」
「―――――は…?」
うん、そうだろう。
そう言う反応だろう。
「大丈夫だって。全部旨いけど、その中でも一番旨いのを選べばいいんだから。ふさわしくない俺には負けないだろ?」
「い、いや、でも、」
「自信が無いなら辞めてもいいけど。違うのにしてやるよ」
してやる。
その上から目線の物言いにカチンと来たのか、元々の性格なのか、煽られ属性であるのか。
メラっと彼の中で燃え上がったモノ。
「やるに決まってるだろ、やったるわぁぁぁ!!」
――――馬鹿って本当に単純で扱いやすい。
握った拳を自分へと向ける黒木ににっこりと微笑む十時は用意していたナイフを早速チーズケーキへと沈めた。
まずはひとつめ。
「……おいしい」
もぐもぐと一口目を頬張る黒木は何やら頷く。
「あ、うまいうまい!!マジでうまい!これじゃね?」
何でお前も食ってんだ志木は、今日も声がでかい。
そして二つ目。
「…………おいしい!」
ぱくぱくっと食べてしまう黒木はまた頷いている。
「うまっ!!これ、うまっ!!これだろっ」
やっぱり食べている志木の自信満々の声が室内に響く。
最後に三つ目。
「………えー…う、うまい…」
首を捻りながら、ケーキを凝視し出す黒木の目付きは鋭い。
「うまっ!!これ、うまっ!!これだろっ、これっ」
全部が旨い志木は良かったねとしか言いようがない。
十時も全てを食べ終え、御馳走様と両手を合わせると、これも楓が用意してくれていたアイスティーを一気に飲み干した。
「で、どう?」
「…よし、大丈夫!」
こちらもアイスティーを半分程飲んだ黒木は正座に座り直すと、三つのチーズケーキを前に真ん中のチーズケーキを指差す。
「これが楓先輩ですっ」
チーズケーキは楓では無いけれど、
「俺も二つ目が楓だと思うな」
しゃしゃり出る志木もそう断言する姿に黒木の眼がきらりと輝いた。
「それであんたは?」
問われた十時と言えば、ふむっと三つを見遣り、一番目を指差すと楓の方へと向き直る。
「答え合わせいいっすか?」
ゆったりとソファに座っていた楓がふっと眼を細める。
今日も恋人としての贔屓目無しにいい男過ぎるその笑み。何を考えているのか分からない、その眼が十時だけを見るときに柔らかいものになるのが好きだ。
「さすが、俺の十時だよな」
ぞくぞくするその声も―――。
*
違うんです!!説明させてくださいっ!!と人様の部屋にもかかわらず、ぎゃんぎゃんと喚く黒木に志木からの岩の様な拳骨が落ちた後、淡々と楓からの有難いお言葉はこうだ。
『一番旨いのが俺のって事だったけど、俺もまだまだって事だよな。精進するわ』
それに慌てた黒木が振り切れんばかりに首を振る。
『ち、違います、その失礼だとは思ったんですけど、一番旨いのが…その先輩のお店のだと…思って、』
『あ、それは俺も思った。んだよ、楓ってチーズケーキはユキさん以上のケーキ作れるんだな』
なるほど、と一人頷く十時は、勝負に勝てたとは違う意味での安堵の息を吐いた。
明らかにあの中で一番旨いチーズケーキは一番最初に食べたものだった、それは自信を持って言える。
だが、自分だけがそう思っていたのかと少し不安になり、次いで楓を心配してしまったのだがそれも杞憂に終わりそうだ。
結果勝負は十時の勝利と言うのは改めて宣言するまでも無く、その上勝利のご褒美と言わんばかりに楓からのキスを受け、それを目撃してしまった黒木は飲んでいたアイスティーを噴き出し、それを顔面で受ける志木、と言う見事な三段オチの運びとなった。
*****
「つか、お前ってズルいよな」
ちゅっと頬にキスをしながら、十時のズボンの中に手を伸ばす楓からの言葉は一瞬意味が分からなかった。
「どう、言う意味…?」
「そのまんま。今日の勝負って明らかにお前が有利じゃん」
「そう、?」
そう?って、と笑う声が耳の裏を擽り、いよいよ快感がせり上がる感覚に、呼吸が浅くなる十時だが、くるりと身体を反転させると楓の首に腕を回す。
「一番旨いのを選ぶだけの簡単な勝負。勝手に解釈して負けたのはあっちじゃんか」
「あんなのしなくても僕が直接黒木に言ってやっても良かったのに」
「…それは意味が無いっつーか、」
確かにそれはそうなのだが、どうもあの手の人間はきちんと負かさないと納得しない。志木もそうだったが、サシで勝負からの、この手で勝ちを見せつけ、敗北を自覚させる。
そこまでしないと話だけをしても駄目と十時は持論を持っていた。
(諦めが悪いやつもいるかもしれないけど)
今回は一応理解はして貰えただろう。
―――でも、まぁ…
ずるいのは、実は自覚している。
でも、ズルをしてやろうって思うくらいにムカついていたのだから仕方ない。
楓の事を、何も知らないくせに知った様な顔をして、将来まで馬鹿にされているようで、内心腹が立っていた、と言うのが事実なところだ。
正直最後に楓がトドメを指してくれた事を有難いとも思っていた。
尤も、今は少し違う所でご機嫌斜めだったりする十時からは、自分のシャツの裾から手を差し込む楓に向かって出る溜め息。
「あのさ、先輩」
「何?」
「来年まではチーズケーキは俺以外に食わせないで欲しいんだけど」
珍しく丸くなった眼が眼鏡の向こう側に見える。
「お前が食わせた癖に」
「今日で最後って事で」
すぐに笑う声が溜まらなく嬉しそうに聞こえたのは、きっと気のせいではない。
そう思うだけは勝手だろうと十時は近づいてくる唇に眼を閉じた。
チーズケーキはワンホール、楓はひとり。
全てが自分のであって欲しい。
終
「もう楓先輩は戻って来ないんすね…」
「仕方ねーよな、諦めろ」
「納得はしてないですけど…俺は志木先輩に頑張って着いて行きますっ!!!」
「おうっ!!俺についてこいっ!!」
そんな二人の背後から鈍感な志木が、はっと何かを感じて振り返った先には青い顔をした前原が、ぐっと唇を噛み締めると踵を返す。
その隣に居たのは、
「……浮気とかさいてー」
ゴミを見るような眼でそう吐き捨てる河野。
「あ………」
誤解されたと気付いた志木が咽び泣きながら、十時の部屋に突進するのを訳が分からないと、取り残された黒木は首を捻るのだった。
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