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神様の手か、隣の右手か
初詣と言うものに行ったのは、小学校一年生に上がる年の事。
まだ保育園生ながらも四月には小学生になるのだと意気込む忠臣は手を引かれて近くの神社へとやって来た。
誰と来たかなんて、見ればわかる事。
「忠臣、人がいっぱいだから手を離しちゃダメだよ」
にこりと微笑む利桜は元旦の日の出よりも美しい。
うんと頷き首から下げたがま口の財布をにぎにぎと握りしめる右手、そして左手は当たり前の様に利桜が握っている。
元旦の朝九時。
流石に人の出も多く、こんなに人が多いのかと驚く忠臣はどきどきと周りを見渡した。
「人が多いね」
「そうだね、だから手はぎゅうだよ」
「うん」
こんなに人が多いのだから、ちびでガリの忠臣なんてすぐに潰されてしまうかもしれない。若干の恐怖を感じつつ、ぎゅうっと利桜の右手を握りしめる忠臣は白い息を吐きながら列に沿って前に進む。
だが不思議な事に苦しい事は無い。
後ろからは押さないでよっ、なんて声や足踏まれたぁ、痛いー!なんて声も聞こえたりするのに。
もしかして子供だけだから大人が守ってくれているのかな、と思うものの実の所は利桜の小学生らしからぬ美貌と雰囲気に気圧され、少しだけ隙間が出来ているだけの事。
悪い大人ならばこれ幸いにと痴漢行為をする輩も居たりするのかもしれないが、幸いな事に良識のある人間が多いようだ。
「お母さんも来れたら良かったなぁ」
そんな中、ぽつりとそう呟く忠臣は今頃初商い商戦だと意気込み出て行った母親を思う。
「仕方ないよ、忠臣のお母さんは元旦から人の為に働いてるんだから。帰ったらお疲れ様してあげて」
「うん…」
「俺だけじゃつまらない?」
「う、ううんっ!嬉しいよっ、だって初めてのはつもうでだもんっ」
そう、利桜がいるから寂しくない。
こんな人混みだってへっちゃらだ。
「本当?」
「うん」
大きく頷く忠臣はそっと握られた自分の左手を見詰める。
忠臣の左手は利桜の右手に握られているが、それは素手。
確かに忠臣を迎えに来てくれた利桜は両手に手袋をしていた筈で、忠臣もしっかりと防寒対策の為にもこもことしたミトンを付けていた筈なのに。
それは全て利桜の一言。
『手袋付けて手を握ってると万が一、すぽんって抜けちゃったら危ないだろ。結局手が離れちゃうから、手を繋ぐ時は素手だよ』
大丈夫、あったかくなるから。
そう言われた為。
だから最初は寒かったけれど、手から伝わる利桜の体温とそこからしか伝わらない温もりにドキドキと身体全体も暖かく感じ、利桜くんは凄いと忠臣は改めて思ったのだ。
並ぶ事、数十分。
ようやっと本堂が見え、賽銭箱も確認。
「お金、出していい?」
「いいよ」
少しの間だけ利桜から手を離してもらい、がま口を開けるとそこから百円を取り出す。
「百円で足りるのかな…」
「気持ちだからいいんだよ。折角お年玉から出してるんでしょ?」
「う、ん…」
再び利桜から手を握られ、進めば大きな鈴が頭上に。
「一礼をしてお賽銭を入れようか」
「う、うん」
「お賽銭は乱暴に投げ入れたらダメだよ。手を近づけて入れて」
「わかった」
そっと百円を転がす様に賽銭箱へと居れれば、鈍い音が聞こえる。
「はい、あとは鈴鳴らして、胸の前で静かに両手を合わせてお願い事して合掌だよ」
「うんっ」
(お願い事…)
ほんの数秒。
じっと眼を瞑り、すぐに顔を上げた忠臣は利桜からまた手を引かれた。
「お願い事したの?」
「うん」
「俺に教えてよ」
そうは言われても。
「えーっと…お願い事って人に話しちゃダメだって、しおんくんが言ってたよ…」
どうしよう。
人に話してもいいものだろうか。神様はお願い事は自分だけが知っておきたいんだって、そう聞いていた。
戸惑う忠臣に利桜の眼が一瞬すっと細くなった気がするも、それに気付かない小さな子供はうぅっと唇を噛み締めた。
「大丈夫だよ、忠臣」
「え?」
見上げれば、にっこりと眦を下げた優しい笑顔。
「小学生以下の子は一番好きな人には教えていいんだって」
「そ、うなの?」
「忠臣は俺の事好きでしょ?」
「う、うん…好きぃ…」
ちょっと恥ずかしくなってきたけれど、利桜の事が好きなのは本当の事。寒さに赤く染まった鼻をすんっと啜りながら、そう頷くと繋いだ手を引っ張った。
「耳、貸して、」
「うん」
暖かい吐息がこそりと耳を擽り、小さな声は自分だけの為に。
「き、こえた?」
「聞こえたよ。叶うといいね」
可愛らしい忠臣のお願い事。
叶うといいね、よりもそれは絶対に叶える事だ。
ふふっとほくそ笑みながら、利桜はすぐ脇にある甘酒のふるまいへと進み、次におみくじでもしようかな、と思うのだ。
『ずっと大好きな人といっしょに、いれますように』
その願い事はそれから十五年程経って叶えられるのだが、利桜に言わせれば、こうだ。
「金払って神様の手なんか頼るよりも、俺の手を握った方が確実なんだよ」
「……テンション下がるわー」
「だって、そんなのアイドルの握手会と変わんないじゃん」
「えー…」
恋人になって初めての初詣。
賽銭を投げ、頭を下げる忠臣に聞こえた声は、眉間に皺を寄せるには十分なものなのだ。
「で、何をお願いしたの?」
「………言わない」
甘酒が美味しい。
ふぅっと息を吐く忠臣の手は今年もしっかりと利桜のものらしい。
『この人が幸せでありますように』
終
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