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夕方、会社勤務の人間達のアフターファイブにも重なり、雑踏の中紛れ込む姿に一瞬ひやりとするも周りより頭ひとつ抜きんでた姿は容易に目に留まる。
リサーチ済みの先回り出来る道へダッシュ。
そうして目的地へ着くと鞄から取り出した小さなコロンを取り出し、しゅっとひと吹きすれば、途端に香る花の芳醇な微香に、ふふっと口元に笑みを含ませ、さらりと髪を撫でる。
もうすぐ向こう側からやってくる『彼』とすれ違うべく、スッと伸ばした背筋。
いつもこの瞬間はドキドキしてしまう。
もしかしたら声を掛けてくれるかも、今日はちょっとヨロついてみたら助けてくれるかも。
夢のような想像に表情筋が緩む。
段々と近づいて来る距離にチラリと視線だけをそこへやれば、相変わらず見目麗しい顔立ちと常人離れしたスタイルが眼福をもたらす。
(今日は…今日こそは家までを知りたい)
いつもは途中でタクシーに乗り込まれたり、何故か急に姿が見えなくなってしまったりと見失う事が多いのだが、今日は事前に用意しているものだってあるのだ。
『彼』はいつも大きめのトートを持ち歩いている。
きっとイラストを入れているのだろう。出来るだけギリギリまで近付き、これをそっと忍ばせたい。
勿論いつもの『作業』だって遂行しなければ。
5、4、3、近付く距離にちらりと視線を向けると初老の男性と談笑する姿。
(やっぱ王子様だぁ…)
うっとりとする美貌に見惚れそうになるも、すれ違う瞬間。
ぎゅうっと掌を握り締めるとそのまま交差。
やっぱり何も起こらなかった。でも、少し先で今日はUターンし、跡を着いて行かないと。
少し先にある曲がり角を曲がり、すぐに来た道を戻る。
目立つ彼の事だ、少しくらい離れたって分かる筈。
だが、
「―――え、」
先程すれ違った筈の男が目の前に居る。
にこりと口元に笑みを称え、こちらを見下ろしている。
何故、なんで、どうして。
そう思うよりも前に、
「こんにちはぁ」
少し間延びした声が自分に向けられているのだと気付いた女は、一気に身体中の血が沸騰するのを覚えた。
顔が熱い、指先や膝が震える。
(ワタシ!!?え、嘘、うそぉ!)
まさか声を掛けられるなんて想像もしていなかっただけに、いや、妄想はしていたが現実にこのような事が起きるとは思いもしなかった女は、内心慌てながらも、リボンとフリルをあしらったラベンダー色の鞄を握り締め精一杯に身体を縮めた。
「あ、あの、何でしょう、か」
そして上目遣いは忘れない。
恥じらう様な仕草にデカ眼に力を入れたメイク。コンタクトだって今日はお気に入りの三割増し可愛いと評判のもの。
ドキドキと今にも厚めのカップでも突き破って出てきそうな心臓を押さえつつ、ついでに小首を傾げて見せれば、男も首を傾げながら眼を細めた。
「カメラ、この場でぶち壊せよ」
声も素敵。
低過ぎない、耳に柔らかく届くその声。サイン会で初めて会った時、顔やスタイルだけでなく、その声も好きになった一つの要因。
だが、
「聞こえねーの?何頭も馬鹿なら耳も馬鹿なの?何もいいとこ無いじゃん」
辛辣な言葉がぽんぽんと飛び出す。
それこそ、笑っているのにその眼からは一切の光が見えない。仄暗さすら見え隠れするそれに、背筋に走る悪寒は100m5秒台。
「ちょ、常葉くん、言い方言い方、」
背後から初老の男が渋い顔をしながらその男、常葉を制するも、ふっと鼻で一蹴すると、また女を見据えた。
「こういう勘違いストーカーは早めに潰しとかないと、後々が面倒なんで」
「そうだけど、もうちょっとあるでしょ、警察沙汰にしたくないなら、とか、」
どっちもどっちな言い合いをしつつ、気を取り直して。
もう一度女を一瞥した常葉から徐に伸ばされた手にドキッと胸を高鳴らせるも、女の子要素の高い鞄を握り締めると、それをそのまま奪い取るように持ち上げた。
「ちょっ、何するんですか、っ、」
流石に急な常葉の行動。
慌てて彼から奪われた鞄を取り返そうと、へにゃっと眉を下げる女だが、常葉が鞄の表面を撫でる様子にさっと顔色を変える。
今更本気で取り返そうとしたところであとの祭り。
「クソみたいなカメラみーっけ」
鞄の外ポケットに仕込まれていた小型カメラを指先で転がす常葉からの楽しそうな声。
「あ、何これ…小型GPSもあるじゃん」
「あ、…っ!」
今日の為に用意した、それ。
ひっくり返され、地面にぶち巻かれた鞄の中身は化粧ポーチやハンカチ、鍵、財布と言った物だが、その中から出て来た異質な物体。出て来たGPSを前に固まる女だが、きっと睨み付けると自分よりもだいぶ上にある端正な顔に向かって口を開いた。
「な、何なのよ、あなたっ、いきなり失礼じゃないっ、」
無礼だと言わんばかりの怒気を含んだ声を浴びせるも、そんなものそよ風と変わらない。
「確か、あんたは、姫苺だっけ?悪質なインスタのアカウントの一つにあった人で、俺との匂わせ、マウントしてくる悪害ってやつ」
未だコロコロと掌で転がす小型カメラに小型のGPS。
「隠し撮りされた写真だとか、それで匂わせ投稿、周りへのけん制DM。まさか今日はGPSまでご用意してくれてたなんて。いやいや、ちょっとうんざりしてたから今日お会いできて良かったよ」
「ち、ちが、わたしじゃ、な、知らな、」
足元に散らばる荷物や鞄。それらすべて拘りで集めたお気に入りの全てだがにこっと微笑んだ常葉から目が離せない。
三日月を模った綺麗な笑み。
ふらりと頭が揺れている様な感覚に陥りそうになる。
貧血のような、急に足元がおぼつかなくなる様な、
「警察行く?それとも此処で示談?どっちでもいいよ」
柔らかい、けれどそこに一切の感情も感じ取れない声音からもう逃げ場はないのだと知らされた彼女は、とうとう糸が切れたようにへたり込んだ。
*
事後報告程、気に入らないものは無い。
むすりと眉間の皺を形状記憶させるかのように先程からずっと寄ったままだ。
「つか…何でそう危ねーことするの?もしその女の子が逆上して襲い掛かってきたらどうすんだよ」
「えーそうならないように危険分子の早めの撤去作業だったんだけど。向こうからわざわざお見えになったし、いい機会だと思ってさぁ」
豆腐とパリパリお揚げのシーザーサラダにコーンスープ、たらこパスタ。全て常葉の好物の夕食を前に、今日合った事を一通り聞いた佑からは溜め息しか出ない。
(やっぱりコイツって危なっかしい…)
「それに向こうだって示談で済んだんだから良くない?むしろ感謝してほしいくらいだわ。夢の国から手を引いて現実世界にエスコートしてあげたんだけどぉ、この僕が」
「そう、かもしれんけど…」
それでもやはり危ない事はして欲しくない。
矢張り自己犠牲で自分を守ってくれそうな男だ。もう少し自分を労わって欲しいとも思える。
「兎に角、何かあってから俺が知りませんでした、は、絶対に嫌だからな。お前はそこら辺ちゃんと自覚してろよ」
「――――う、ん」
「じゃ、飯だ、飯。はい、いただきますっ」
―――――やっぱり佑が大好きだ。
『分かってんの?』と聞くのではなく、『自覚しろよ』なんて愛されている事を自覚しろと言われているみたいで最高だ。
佑の無意識の言葉選びは自分だけのモノで、困った風に笑う笑顔も全部全部。
だったらこちらは佑との生活を誰にも崩されない様に、邪魔されない様にするだけの事。
排除、駆除、駆逐。
それがこちらの正義、そしてご褒美は佑がくれる。
(うん、最高じゃん)
色々と心配してくれるのは嬉しいけれど、安心して欲しい。
――――僕らの生活に必要無いのは全部、消してあげる。
自己犠牲なんて、一円にもならない事する訳ないない。
最近出来たグッズのサンプルの複製原画を額にはめ込むなり、満足そうに壁に飾る佑の背中に向けて、ふふっと嬉しそうに眼を細めた。
終
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