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打ち合わせが終わり、やっと製作が始まる。
就職したゲーム会社はまだ小さい会社ながらも、着実に実績は伸びていると思う。
イラストレーターとして入社した優斗も少しずつではあるが先輩社員のスキルを覗き見、教えを乞い自分の物にしようと努力している。
ただまだまだ発展途上な会社故か、急な押し付けの仕事も来る事もしばしばでそうなれば、またブラック企業顔負けの勤務状況となってしまうのは仕方が無い事。
納期が近づけば、友達は栄養ドリンクと十秒チャージ型ゼリーだ。まだボールが友達の方が健全過ぎる。
(あー…もう二週間行ってねーな)
そうなれば、恋しく感じてしまうのは安達の店。
再び通いだして既に半年以上。
パソコンの前でぼんやりと息を吐く優斗は、ずずずっとストローを差しっぱなしにしたままのエナジードリンクを啜る。
大体繁忙期前は安達の店に飲みに行くというよりは明らかに目的は飯になっていた。
安達も安達でそんな優斗にぶつぶつと日々の生活習慣がどうだととか、もっと身体を鍛えろだとか、文句を言いつつも食事を出してくれる。
おにぎりと味噌汁だったのがしばらくすれば生姜焼きが出てくるようになり、その次には唐揚げとサラダが付いてきた。
副菜にほうれん草の和え物や冷奴、こふき芋が出て来た時は流石にここまでしてもらうのは申し訳なさがたたり、しばらく来るのは控えようと会社から真っ直ぐに家路に着いていたのだが、数週間後、
『何で来ないのっ!!死んだかと思って心配したじゃないのっ!!』
と、右耳から左耳へと中身を押し出すんじゃないかと恐怖する程の安達の声がスマホ越しに優斗を襲った。
どうやら常葉から電話番号を聞いたらしい。
しどろもどろながらに何とか申し訳ないの意を込めて言い訳をすれば、はあーっと盛大な溜め息と共に今度は呆れたような声が聞こえる。
『あのねぇ…迷惑だったら言ってるわよ。やっと最近顔色だって良くなったと思ってた所にふっと来なくなったら心配だってするでしょう』
確かに、と勢いに負けて一人頷いてしまった優斗だが、
(心配…へー…)
安達が心配してくれていたと言う事実に、思わずにやけてしまった。
ドライで淡泊なイメージの安達だけに余計に、だ。その上人恋しいなんて思う事が多かった優斗にその台詞が刺さらない訳が無い。
ほわっと気持ちが高揚する久々の感覚。
普通に嬉しいし、有難いとも思える。
結局連絡先を交換するという形で落ち着き、メッセージアプリでのやり取りも始まった。
だから今回も店に行けないのは安達も知っている。
優斗も行けない事は仕方ないと思っている。
だが、
(何か、腹減ったなぁー…)
学生時代は大食いだと言われていたのに食が細くなった気がする。安達の食事で胃が元に戻ったと思っていたが忙しくなるとまた食欲が減退する。
今日はひと眠りしたら行ってみようかな。
でも本日は金曜日。
きっと店は忙しい筈だ。それに優斗だけに特別に飯を作っている訳ではないだろう。
あの人の周りはいつも人が多い。
所詮自分は大勢の中の一人にしか過ぎない。
「………あ?」
何を考えているんだか。
身体が悪くなりそうだ。
そう肩を竦め溜め息を吐き出すも、やりたいと思っていたイラストレーターの仕事。
常葉には負けるが、遣り甲斐ある仕事だと思っている優斗は大きく背伸びをすると、再びパソコンへと向き直った。
*
新しい朝が来たと実感したのは退勤時だ。
「お、お疲れ様…、」
「先輩も…」
ふらふらと先輩同僚と会社を退勤し、駅前で別れる。今日から三日間仕事が休みなのは救いだ。
始発に乗り込み、揺れる電車と頭が同調し心地良い。
しかし今回は少しいつもより疲労が大きいようだ。
身体の怠さ然り、ぼうっとする頭には休息が必要なのだろう。
(家に何かあったっけ?)
起きたら何か食べるべきかと考えたら矢張りコンビニに寄るか。
本当ならば安達の飯が食べたいところだが、今日は無理かもしれない。
(マジで疲れてんのかも)
大学時代はあんなに元気だったのになぁと独りごち、優斗は目当ての駅に着いたのを確認すると重い身体を持ち上げた。
矢張り何かおかしいと思ったのはアパートの玄関に入った瞬間だ。
ぐらっと脳内が揺れる感覚と背中に走った悪寒。
「…え゛?」
マジか。
これは、もしかしてあれか?
嫌な予感がすると部屋の隅に置きっぱなしの薬箱から取り出したのは体温計。
むぅぅっと眉間に皺を寄せながら脇へと差し入れ待つ事3分後、ピピピっと鳴った機械音と表示された数字に優斗の顔色が一気に変わる。
38・2
風邪だ。
「えええええ…!」
情けない声は誰に聞こえる訳でも無く、そのままベッドへと倒れ込んだ優斗は小さく舌打ちをした。
数字を見てしまった故か、自覚してしまえば怠いなぁくらいの身体がもっと重く感じてしまう。
置き薬として風邪薬を置いておいて良かった。腹には何も入れては居なかったが飲まないよりはマシだろう。
何とか薬を飲み込み、部屋着に着替えるとそのままの身体でベッドに潜り込む。
本当ならばシャワーくらい浴びたいが、そんな元気も無い上に、寒気が強くなったようだ。
「最悪ぅー…」
朝の眩い爽やかな光が窓から入り込み、それが何だか自分自身を惨めに感じさせるのが腹立たしさを生み出す。
隣近所からは玄関の扉を開く音、洗濯機を回す生活音が微かに聞こえると言うのにこの世界で自分ひとりだけしか居ない気にさせられるのも切なくてたまらない。
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