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お裾分けされる幸せ
外回りついでだと、会社の来客用で使用するお菓子を頼まれ、指定された先はチーズケーキ専門店と言う何とも珍しい洋菓子屋。
地図代わりのスマホ片手に扉を押して、中に入れば甘いチーズの香りと焦げた砂糖の芳ばしい匂い。
不意に襲われたそれに、一瞬にして口元が緩みそうになる。
タイミングよく他に客が居ないとはいえ、はっと口元を押さえつつ、改めて中を回し見れば、淡いオレンジ色の壁に白い柱、そして緩やかに流れる音楽。
匂いも相まって、まるでチーズケーキの中に居るような錯覚に陥ってしまう。
ショーケースの中にあるチーズケーキも様々。
ベイクドチーズケーキ、レアチーズケーキ、スフレにタルト。フレーバーもそれぞれ、本日のおすすめはオレンジピューレの入ったレアらしい。
ラッピングされた焼き菓子も目に付く。
やだ…美味しそう…
チーズケーキなんて珍しくも何ともないが、このキラキラ感は何だろう。
装飾だって華美じゃない。
クルリと出された生クリームに小さなブルーベリーやラズベリーが並ぶだけだったり、何ら乗って居なかったり。
ほぉ…っとショーケースに張り付き、じっくりと中のケーキを眺めてれば、
「あ、いらっしゃいませ」
掛けられた声に、ひゃっと肩を跳ねらせ、顔を上げた。
「あ、こ、こんにちはっ」
「こんにちはー」
にこりと笑う店員は男性。
黒いワイシャツに黒のパンツ。オフホワイトのエプロンが目立つ。
少しきゅっと眦が上がった眼は三白眼気味。180近くはある身長に所謂強面系で、目付きも鋭く見えるけれど、笑った笑顔は懐っこさを感じさせる。
一瞬、うわ、っとたじろいでしまった私に、ふふっと微笑みながら首を傾げる店員から悪意は感じない。
「あ、あの、私会社から会社用のお菓子を頼まれまして…」
「会社名をお伺いしてもいいですか?」
「え、ええっと、」
名刺を取り出し差し出すと、あぁ…っと小さく笑う彼はお待ち下さいとショーケースから箱を取り出した。
「こちらですね。四種のチーズを使用したケーキとチーズ饅頭の詰め合わせになります」
「ありがとうございます」
既に予約はしてあると言われた通り、きちんとテイクアウトできる様既に準備はしてあったようで、手渡されたそれに思わず息を吐くと、また笑われてしまう。
バイトの割には落ち着きがあるし、二十代前半かもしれない。
それでも多分私よりも年下だろう。
「あとで請求書をお送りしますね」
受取書にサインし、控えを貰い、これで私のミッションはコンプリートだけれど、
「あ、の、個人的にも購入してもいいですか?」
食べたくなってしまった。
ダイエットしなきゃなんて思っていたけれど、どうしても食べてみたい。
「勿論ですよ、じっくり見てください」
嬉しそうに笑う彼にも一瞬とはいえ怖い印象を持ってしまったのに、たった数分で好感しかない。
結局店員さんのおすすめを聞いて、レアチーズを購入してしまった。
早速会社に戻ってランチを軽く済ませ、デザートにそれを頂いた。
う、
(うっ、んまぁ…何これ…)
今迄チーズケーキは重いものだと思っていた。口当たりも甘味も、ねっとりとしたのど越しも。
でも、これはちょっと違う。
しっとりとした歯触りに、ふわりと鼻を抜けて行くチーズはくどくない。
とろりとしたしっかりとした味なのに後に残らないのが不思議だ。
「え、すっごい…美味しいんだけど、マジで…」
個人的にタルトに練り込まれたオレンジのピューレが香ってくるのが最高にたまらない。
このチーズケーキを予約した上司からも、
『取引先の相手がねぇ、ここのケーキがすっごく好きらしくて』
と、教えられたが、納得だわ。
そうすれば、一週間、または二週間に一回程通うようになってしまった、そのお店。
店員さんの名前も内山田くんだと教えて貰った。
すっかりお気に入りのチーズケーキ専門店。
他の常連客達とも顔見知りになり、気軽に話をするようになった頃、
「ねぇ、ここのパティシエ、見た事ある?」
「え?」
ケーキを選んでいる途中、そんな質問に眼を見開いた。
言われてみれば、フロアの内山田くん以外人を見ていない。
たまに先輩、と裏に向かって声を掛けているのは見た事あるけれど、確かにそうだ。
「私も一度だけ見た事があるんだけどね、それがすっごい男前なのよぉ」
「そ、そうなんですか?」
ちらっと内山田くんを見遣る。
彼も好青年だが、その裏に居る人物とは。
イケメンと聞いてざわつかない女はいない。
若干気になる、けれども、きっとタイミングが良くないと見れないのだろう。
雑誌にも写真なんて無かった。
(見てみたい、かも…)
そんな気持ちを抱いたのは事実で、でも、ケーキを選んで食べれる頃にはすっかりそんな事も忘れていた。
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