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そんな優斗の問いに特別気を悪くするわけでも無く、あぁっと小さく相槌を打つ安達はふふっと笑う。
「下の階に大家さんが居るって聞いてたし、この部屋開けて貰うのに女装じゃ絶対に無理だと思ったし」
「あ、あぁ、…そう、なんだ…」
鍵をかけ忘れた訳では無かったのか。
下の階に住む大家は確かに人の良い老夫婦。友人と連絡が取れないとでも言って開けて貰ったという所だろう。
(不用心過ぎだけど…)
「それに流石にあの格好でこの辺ウロついたり、この部屋で入りして変な噂でも立てられたりしたら困るでしょ」
困る?
困るとは?
「ほら、それよりか熱もう一度計りなさ、」
「和さんは、いつでもカッコいいよ。女でも男でも、」
「…は?」
体温計を持ったまま固まる安達がきゅっと眼を開く。
「どっちも、俺はいい、と、おも…、う」
「あら…そう」
「うん、そ、う」
何かもっと言いたい事はあるが、先程までとは違う倦怠感に視界がぼやける。
けれど、
「うふふ。嬉しい事言ってくれるじゃない」
にこっと笑うその笑顔が店で見るものとは違うような、少し子供っぽいような、そんな少しだけ彼の素を見れた気分に優斗も満足を得たのか、カップラーメン泣かせの、一分も経たないうちに寝息を立て始めた。
わざわざ訪ねて来てくれた安達を残して一人寝てしまうなんて、なんて失礼な事だろう。けれど、今日は許してもらいたい。安心してしまったのだ。
誰かが見守ってくれる中で眠りにつく。
なんて多幸感溢れるシチュエーション。
しかもそれが安達だったなんて。
(全然悪く無い…)
そんな気持ちを抱えてーーーーーー。
満足したようなニヤけた寝顔を覗き見ながら、静かに息を吐く。
静かに毛布をずらし、シャツの裾から脇へと体温計を差し入れる事、数分。
ピピピっと音が鳴ったのを確認するとすぐにそれを抜き、画面を確認する。
38度1分。
これも購入していて正解だった。
溜め息混じりに冷えピタをニキビひとつない額へと当てればひんやりとした感触が心地良いのか、ふにふにと唇を動かす仕草が子供のようだ。
(ガキが…)
無意識に舌打ちが出て来そうな表情を見せる安達だが、その顔は赤く染められている。
不覚だ。
まさかこんな年下の男に赤面させられる事になるとは。
(ちょっときゅんとしてしまった…)
別に此処に来た理由に深い意味は無かった。
週に二、三回程のペースで店にやって来ては酒よりも飯を喜ぶこの男。
それが毎度毎度美味しそうに食べるのだから、作っている身としても悪く無いのは当たり前で、その上不健康そうな顔色や痩けていた頬が艶々と血色も良くなり、丸みを帯びてくるのを内心よしよしと満足もしていた。
最初は正直野良猫に餌を与えて丸々と肥えるのを見て悦に入るのと同じ感情ではあったのだが、いつの間にか来ない日が続くと心配するようになってしまったのは変に母性が生まれてしまっていたのだろう。
勿論だが恋愛対象として見ているなんて事は一切無い。
何故なら安達の好みと言えばガタイの良い男と言うのが一も二も無く空気の様に前提にあった為。
そんなザ・漢!と言った風貌の男を女の格好をした自分が押し倒すのが楽しいと言うか、愉悦だった訳で胸キュンも然りだった筈だ。
だが、どうしてだか、まさかのこのタイミングでの胸キュン。
確かに自分の性癖は褒められたものではないし、万人に理解はされないのは理解している。
自身でも少女漫画のような気障ったらしい台詞を言いたくもなければ言われたくもない。きっと経験する事も無いだろうなぁ、なんて、
(思ってたのによぉ…)
『和さんは、いつでもカッコいいよ。女でも男でも、』
まさか、こんな月並みな台詞で照れるとか。
(中学生かよ)
ちっ、と、とうとう出てしまった舌打ちは思いの外室内に響き、慌てて口元を抑える安達はちらりと優斗へ視線をやる。
すぅすぅと穏やかに寝ているが途中詰まっている鼻がすぴぃっと音を鳴らすのが何とも言えない。
自分が柄にでも無い事をやっているのは分かっている。
久しぶりに常葉と共に友人でもある佑もやって来たと言うのに優斗が熱があるなんて聞いて店まで閉めて来てしまうとか、本当に母親の気分だった、と自分では思っていたがこの男から見たらどう映っているのだろう。
「かっこいいねぇ…」
ガシガシと短い頭を掻き、むぅぅぅっと珍しく苦い表情をする安達を友人達が見たらきっと笑うのは間違い無い。
(何だかなぁー…)
優斗の面倒を見て寝てしまえば帰ろうと思っていたのだが、何だかこのまま朝を迎えて彼の様子を見てしまいたくなってしまった。
「俺が朝居たらどんな顔するんだろうな、お前」
驚くだろうか、それとも赤面するだろうか、露骨に迷惑そうな顔をされたりしたらそれはそれで面白いかもしれない。
ちょっと、ちょっとだけ、優斗にたいして興味が出てきてしまった。
『彼』に対する穏やかな気持ちとは若干違うそれ。
腕組みしつつ、何やらしばし考え込み、おもむろに立ち上がった安達は玄関へと向かうと靴を履き、大家から預かった鍵を握り締めると外へと向かった。
隣に住んでいるのであろう、帰宅した若いOL風の女性と鉢合わせ、『こんばんはぁ』なんて微笑み、薄っすらと頬を染めた女性の隣を通り過ぎる。
向かうは近所のスーパー。
「朝食でも作ってあげようかしらねぇ」
ふふっと笑う安達の足取りは軽い。
何となく、悪くないな、と。
翌朝、すっかり熱も下がった優斗は嗅ぎ慣れない匂いで眼を覚ます事になる。
「あらぁ、おはよう。朝食できてるわよ」
「わ、えっ」
嘘、居てくれたのっ!?
ぱぁっと破顔したその笑顔に、再び不覚が安達を襲うのだ。
終
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