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…………
キィ、と軋んだ音がして洗面所のドアが開く。
自分は咄嗟に手にあるモノを、テーブル下に滑らせた。
千夏はそれに気づく事なく、自分の隣にストンと座る。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
そう言って見上げる顔は、いつもよりも薄ら蒼くて力弱い。
「…………いや、そんなに遅くなかったよ。それより前髪が濡れてる、……髪をとめないで、そのまま洗ったんだろう」
言いながら千夏の髪を指ですくう。
ホワイトベージュの淡い色。
艶があり、バニラのような甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「……うん、だって面倒だったんだもん。顔と一緒にタオルで擦れば良いかなぁって」
千夏は小さく肩をすぼめて言い訳をした。
この子はなんでも器用にこなす……が、千夏自身に関する事は雑なんだ。
付き合いたての最初の頃、見た目と違った雑さ加減に笑ったのを覚えてる。
千夏、……千夏。
綺麗なのに可愛らしくて、か弱そうで芯は強い。
自分の名前を幸せそうに何度も呼んで、……千夏の声、千夏の笑顔、千夏の優しさ、すべてが愛しくすべてが尊い。
千夏、愛してる……だからこそ、自分は千夏を応援したい。
腕にもたれて甘える千夏、このまま強く抱きしめたいと思うけど、……その前に最後の確認だ。
「ねぇ、千夏は本気で俳優をやめたいの?」
前置きを吹っ飛ばし、単刀直入に聞いてみた。
すると千夏は、
「…………うん、言ったでしょう? 色々疲れちゃったの。演技よりもジャッキーと一緒にいたいんだ」
薄ら青い顔色のまま、淋しそうにそう言った。
そんな表情して、……そんな表情をさせたくないよ。
「ふぅん……本当に疲れただけ? 占いで言われた事も関係してるんじゃないの? さっき ”占い” って言っただけで、いきなり怒鳴ったじゃない」
「あ……ごめん。びっくりしたよね。怒鳴るつもりじゃなかったんだ。でも、占いの話はしたくなかったの。だってアレはインチキだもん、」
「インチキ? そうかな、当たるって有名みたいじゃない。千夏は案外信じてるんじゃないの? 芸能人って、”ゲン担ぎ” とか ”占い” とか拘る人が多いからさ。”エキストラ専門” とは言え千夏も例にもれずかなって」
ああ……酷い事を言ってるな。
エキストラのなにが悪い、主演だけじゃ映画もドラマも作れない。
役名が無くても、セリフが無くても、エキストラがいなければ成り立たないというのに。
自分だって似たようなものだ。
主演の代わりに危険を演じて金をもらう、ただの名も無いスタントマンだ。
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