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乱れた前髪を整えている間、運転手との空間に再び恥ずかしさが込み上げてきて、私は何度も咳払いをしていた。
そうしているうちに、私側のドアが開けられて、左手を差し出した航が待っていた。
ふぅ、と大きく深呼吸をして私は彼の手を取った。
緊張はさっきのキスで少しだけ有耶無耶になっていた。
多くのメイドたちに頭を下げられながら、邸宅の長い廊下を歩く。
居心地の悪さを押し殺して、きりっとした澄ました表情を保つことに集中していた。
航の両親、つまりNATORIホテルグループの会長夫妻と共にテーブルについたとき、私の緊張は再びピークを迎えていた。
嫌われたらどうしよう。
結婚に反対されたらどうしよう。
航のこと、好きでも何でもないはずなのに、どうしてこんなにも怖がっているんだろう。
「初めまして、あなたが片山さん?」
貴婦人然として航のお母様が微笑んでそう言った。
しかし、一見柔和に見えるその微笑みだが、瞳の奥では少しも笑っていないことに私はしっかりと気が付いていた。
「はい。片山伊織と言います。航さんと結婚を前提にお付き合いさせてもらっています」
そこからは地獄のランチタイムが始まった。
「片山さん、あなた結婚したら仕事はやめられるのかしら?」
「いいえ。現在ありがたいことに大きなプロジェクトを任されておりますし、当分やめる予定はありません」
「そう。でも心配だわ。そんな片手間で名取家次期当主のいいえ、NATORIホテルグループ代表の妻が務まるのかしらね」
「母さん……!」
航が嗜めようとしてくれているが、そんなことお構いなしに彼女は続けて今度は航に向かって言葉を放つ。
ただ私を気に食わないというそれだけの理由で。
「航、あなたもよ。紬ちゃんとあんなに仲良くやっていたじゃないの。小さな頃から一緒に遊んでいてね。喧嘩でもしたっていうのなら私の方からも何とか言ってあげるから。ね? 考え直してちょうだい」
あぁ、ここに居たくないな。
折角の美味しい料理も全く味わえないし。
テーブルマナーだって必死に確認したのに。
少しでも気に入られようと準備した私って馬鹿みたい。
全部が台無しだ。
口に含んだ水の味すらしなかった。
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