91人が本棚に入れています
本棚に追加
俺から現在の伊織の状態を聞いた片山家の二人は絶望に顔を染めた。
俺は彼女の母親に頭を下げた。
「伊織が嫌がることは重々承知の上でのお願いです。俺と出会う前の彼女に一体何があったのですか?」
俺の切実さが伝わったのか、伊織の母は躊躇うことなく俺に全てを打ち明けてくれた。
「一ノ瀬湊くんにね、伊織は傷つけられたのよ」
大学の同じサークルで出会った伊織と一ノ瀬は、はじめ仲の良い先輩後輩の関係にあったという。
そのうち、二人は付き合うようになった。
最初は順調に思えた付き合いも、伊織が働き始めるようになってからおかしくなっていった。
一ノ瀬が激しく伊織に執着するようになったのだ。
彼の束縛は目に余るものがあり、伊織の両親も幾度か彼に苦言を呈したそうだ。
しかし、その度に伊織が一ノ瀬を庇ってしまうので、彼らもそこまで強くは出られなかった。
彼の束縛が伊織を軟禁状態にさせるにはそこまで時間はかからなかった。
実際、そのとき伊織がどういう扱いを受けていたのかは教えてもらえなかった。
だが、警察等の介入によりようやく軟禁状態から解放された伊織は酷くやつれてしまっていた。
一ノ瀬に洗脳されていた伊織は、それでも一ノ瀬のことを愛し、信じていた。
一ノ瀬もまた自らの行いを恥じ、心を入れ替えて二人は再び付き合うことになった。
しかし、伊織の行動を制限できないことへのフラストレーションから一ノ瀬は浮気を重ねていった。
そうして、婚前旅行を控えた前日に彼の浮気現場を伊織は見てしまう。
伊織が問い詰めると、一ノ瀬は別れを告げてその場を逃げ出した。
「失恋したあの子を見るのは辛かったけれど、一緒になっても幸せになれないことは分かりきっていたから、私たちもこれで良かったのだと思っていたのよ。一ノ瀬くんから伊織を手放すなら面倒も少ないだろうし……」
伊織の母はそう言ったあと、静かに嗚咽を漏らした。
そんな彼女の肩を伊織の父が慰めた。
「あの子は心配をかけまいと私たちにはあまり相談せずに、なんでも一人で抱え込んでしまう癖があってね。申し訳ないけれど、航くん。伊織のことを頼めるかい? 君の隣で笑った伊織のあんなに楽しそうな表情は本当に久しぶりに見たよ」
「はい、もちろんです」
一刻も早く伊織に会いたい。
そうしてマンションの最上階に戻った俺を待ち受けていたのは、空っぽの寝台だった。
忽然と伊織は俺の前から姿を消した。
最初のコメントを投稿しよう!