身体から始まる契約結婚

5/30
92人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
「航様! 昨夜は一体どうされたんですの⁉︎」 キンキンとした五月蝿い声で俺は目を覚ました。 瞼を持ち上げて、最初に視界に入ってきたのは家が決めた婚約者の古鷹紬だった。 俺は無意識に眉を顰めた。 日本随一の旅館グループの令嬢である紬は世間知らずの箱入り娘であり、俺にとっては天敵だった。 彼女の純真さにあてられる度に、俺は俺のことを嫌いになっていく。 そんな相手と一緒になったところで、想像し得る未来に幸せはなかった。 寧ろ不幸な結末しかやってこないというのに、両家は俺たちに結婚して欲しくて仕方がないらしい。 はぁ、と重たい溜め息を吐いた俺の耳に再び彼女の声が届く。 「な、なんて格好をしているのですか!」 そして、ハッと気づく。 そういえば昨夜の彼女はどこに?? しかし、キングサイズのベッドのどこを見ても彼女の姿はなかった。 ライバル企業の社長に盛られた薬でやられた俺の頭が見た幻覚だったのか? いや、それにしては俺の身体が鮮明に覚えていた。 彼女の匂いや皮膚の感触を。 それに、乱れたシーツが確かに昨日、彼女がここにいたことを証明していた。 世間知らずの紬は何一つ気が付いていないみたいであるが……。 ぷぅっと頬を膨らませて俺を見る婚約者に告げる。 「出ていってくれ」 「え?」 「……聞こえなかったか? 出ていってくれ、と言ったんだ」 彼女には俺の言葉が大層冷酷に聞こえたことだろう。 それも無理はない。 何せ、俺は昨夜を共にした女の顔を思い出せない自分に苛立っていたのだから。 涙目になった紬を更に無視すると、彼女はそのまま俺の命令通り部屋を出ていった。 傷ついた表情を一切隠さない紬を俺は苦々しい気持ちで見ていた。 そんなことはあり得ないと頭では理解しているが、どうしても紬の姿が打算的に思えて仕方がなかった。 幼馴染であった彼女から俺への恋心を聞かされたその瞬間から、俺は紬と向き合えなくなった。 女性特有の浅ましさが鼻につくようになったのだ。 彼女の無邪気さに恐怖する度に過去の記憶が俺を縛り付ける。 そして苦しめてくるのだ。 一人になったあと、ベッドサイドテーブルに置いていた眼鏡へと手を伸ばした。 もし昨夜も眼鏡をかけていたら、彼女の顔を見ることが出来たのではないだろうか。 それにどうしてーーーー。 「どうして彼女の肌はあんなにも心地よく感じられたのだろうか」 もう一度、逢いたい。 俺の心臓は確かにそう願っていた。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!