92人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
プールから上がった時、向こうからふらふらとした足取りでプールサイドを歩く男の人が見えた。
タオルで身体についた水滴を拭きながらその人を見ていると、突然彼の身体の重心が傾いて、そのまま転んだ。
「え!」
慌てて彼の元に近づく。
身体を支えた時に何やら既視感を覚えたのだが、ひとまず声をかけることにした。
「大丈夫ですか? 体調でも悪いんじゃあ……」
顔を上げた彼が私を見る。
見覚えのある銀の瞳が私を捉えた。
「あ、あぁ。大丈夫だ。すまない」
艶のある低音ボイスに私の腰が震えた。
ーーーー昨日の、彼だ。
そう気づくや否や、私の頬は赤く染まる。
それをなんだと思ったのか、今度は彼の方が心配そうに声をかけてきた。
「君の方こそ調子が悪いのではないか?」
「あーえー、えーーっと」
気まずさに視線を逸らすも、彼は訝しみながら私の様子を窺うばかり。
……もしかして、私に気が付いていない?
そんなまさか。
しかし、よくよく彼の顔を観察してみると、昨夜にはなかった細いアイアンフレームの眼鏡がかけられていることに気が付いた。
「俺の顔がどうかしたか?」
「い、いいえ! 何でも」
そっか、そっかぁ。
この人、昨日は何も見えていなかったのね。
ううん、それ以上にこんなに綺麗な人だもの。
きっと昨夜のようなこと、日常茶飯事なのよね。
私一人だけ変に意識しちゃって馬鹿みたい。
気が抜けたその時だった。
「あんたね! 私のカレをたぶらかした女狐は!」
鋭い叱責が飛んできたかと思った瞬間、背中を誰かに押された。
「え?」
ばっしゃーん、と盛大な水の跳ねる音がして、プールに突き落とされたのだと理解した。
「おい!」
名前も知らない昨夜の彼が私のために怒ってくれている声が水の向こう側から聞こえた。
どうやら悪い人ではなさそうだけど。
「ぷはっ! ごほごほ」
水面に顔を出して、私を突き飛ばした犯人に目を向ける。
その娘は酷く怒っていた。
酷く怒っていて、普通なら見るに耐えないほどの醜い表情をしていてもおかしくはないのに、彼女は激怒していても尚愛らしさを纏わせて、そこに立っていた。
艶のある上品な黒髪に、色白の肌と真っ赤な唇が映えている。
小柄で華奢な身体は小動物のようで、庇護欲を掻き立てられる。
最初のコメントを投稿しよう!