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四十三
「止めて!」
沙耶の悲痛に似た叫び声が広場に響く。
バーン!
片目を閉じていた僕は銃の反動と共に目を開けた。すると黒岩を護るように沙耶が手を広げて立っているではないか。銃弾はそのまま沙耶に当たり、沙耶は後ろに倒れ込むと、そのまま動かなくなってしまった。
「沙耶ああああ」
気が付くと僕と正木は沙耶を撃っていた。黒岩は慌てた様子で沙耶に駆け寄るが、動かなくなった娘に呆然としている。いつものような冷静に脈を確認する警察官ではなくなっていた。二十年前の父を見ているようだ。望んでいた黒岩の絶望に僕は思わず頬が緩む。嗚咽しながら項垂れる黒岩を見ているだけで爽快だった。
黒岩巌を殺したいほど憎んでいたが、僕はそれより絶望に溺れていく黒岩の顔を見たくて仕方なかった。二十年前僕たち親子を冷たく扱った黒岩に同じ思いを味合わせてやろうと思いを募らせていたから、ようやく願いが叶った思いでせいせいする。
そんな時だった。木の陰から車のライトが照らされた。あんなところにも車が止まっていたなんて。思わずその明るさに目が眩む。
「部長! 何の銃声じゃ?」
車のライトを背に浴びて降りてきた人物が、足早に僕と正木の方へと近づいてきた。銃に警戒しながら警棒を持って。首にはマフラーのようなものが揺らいでいる。
「土岐さんですか?」
「ああ。その声は部長の旦那さんかね。部長はどこじゃ?」
周りを見渡す土岐は、胸から血を流して倒れている沙耶の姿を見て叫び声を上げた。その傍で黒岩が茫然自失になっているのを悟り、こちらへと駆け寄ってくる。僕は慌てて銃を投げ捨てた。
「旦那さん、まさか君が?」
動揺する土岐に言い訳はできないと思い頷こうとしたら、正木が僕の肩に手をやりその動きを止めた。
「撃ったのは俺っす。ツミッチは関係ありません」
正木は腰に仕舞った短刀を出して土岐に見せた。そうしてこの現場に愛美と沙耶を殺しにやって来た者が黒岩だったと話をする。自身の短刀は万が一のための護身用だったと告げて。
「そうかいそうかい。だいたいの事情は分かった。それで警視監もいるのか。なるほどな。で、この一連の事件、誰がいったい犯人だったんじゃ?」
きちんと成り行きを説明したのに土岐は平然な顔でそう尋ねてきた。どこか呆けたジジイのように。
「だからさっきから黒岩だと言ってる。黒岩警視監だって」
「そうかMよ。それを自供させたのか?」
突然喋り方が急に変わった土岐に正木がガクガクと震えた。そして小声で「もしかしてKですか?」と問う。
Kとは羽柴健介の異名だと誰もが思っていたが、まさか土岐だったなんて。
「自供はしていませんが、裏は取れてます。この目で犯人の髪色を見ましたから」と上司に報告するような丁寧な喋り方で正木は応えた。
「報告は正確にしろ! と言いたいところだが、もう時すでに遅しか。羽柴幸と星名千沙を間違えた君にはもう用済みだがね」
「待ってください。小さい子の平仮名『ほしなちさ』は汚く、ちとさの逆さ文字までありました。読み間違えはしょうがないっしょ?」
短刀を受け取ろうとした土岐だったが、なかなか正木が手を離そうとしない。そんな正木は声を震わせながら続けた。
「やはり俺の間違いであんなことを。そんなことだろうなと薄々感じてたんだ。やっぱり羽柴幸を殺したのはKだったんすね」
土岐がいくら引っ張っても短刀から手を離さない正木に、鋭い蹴りが入った。正木がグルグルと何度も地面にぶつかりながら転がっていく。手には短刀を握りしめて。最後まで手放さなかったようだ。それを見た土岐の顔が歪んだ。
「冥途の土産に警視監を今日も正当防衛にしてやろう」
おほほほほと変な笑い方をした土岐は、腰から脇差を抜いた。
「その脇差」
僕は見覚えのある脇差に羽柴健介の自殺を思い出す。鍔のないシンプルな白木の脇差は、確か免許皆伝時に剛田からそれぞれ三人に配られたものだったと。
「これは厳の脇差じゃ。部長に言って拝借してきてもらったわい」
いつもの喋り方に戻った土岐は嬉しそうに刀を振るい始めた。手つきが黒岩と違い、日本刀の扱いが非常に上手い。今も現場で活躍している剣術のしなやかさがそこにはあった。力任せで振っているようにはまったく見えない。
「死人に口無し。廃人には牢屋にでも入ってもらおうか」
その言葉は普段土岐が言うようなセリフではなかった。
もしかして犯人は土岐だったというのか? この悍ましい発言と剣術の上手さに二十年前を想像する。あの時はすぐにやられ、玄関先で首を斬られ倒れていたというのに。
土岐が刀を縦に構えて僕の方へと詰め寄ってきた。丸腰の僕は小枝を持って応戦するも、切れ味のいい脇差には到底敵わなかった。枝がスパスパと斬られていく。そうして一方的に攻められた僕は足がふらつき倒れてしまった。
「先ず一人目」
土岐の脇差が振り上げられる。もう助からないと思った僕は目を閉じて両腕を頭の上に伸ばして十字にした。
「ツミッチ、馬鹿、逃げろ!」
そこに正木が飛び入り、僕を押し退け短刀で受け流してくれた。
反撃とばかりに正木もすぐに返しを振るう。だが、まったくもってその刃は土岐に届かなかった。それどころか腕を掴まれ投げられる始末。さすが現役警察官というところだろう。
「剣道の間合いで短刀を振るってもムダムダ。やるなら突きじゃろ?」
わざとらしい土岐の誘いを真に受けた正木は短刀で脇差を避けて突きに転ずる。
「痛っ!」
詰まった声を吐き出すように叫んだ正木は鳩尾を押さえながら地面に倒れ込んでいた。土岐の方を見ると左手に刀の鞘を持って突き出している。
「愚かな奴じゃ。突きは直線的で動きが読みやすいというのに。リーチの長さで鞘でも倒せるわい」
そうして土岐は短刀を正木の手から離すと、大きく振りかぶった。
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