四十四

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四十四

 その時だった。遠くから低いエンジン音を轟かせながら近づいてくる一台の車が。  迷いもせずこの北側広場へと辿り着いた黒のスポーツカーはこの空き地に滑り込むようにドリフトしながらこちらに助手席側を向けて停車した。なんて荒々しい運転だろうか。プロのレーサーが突然割り込んできたみたいで、土岐の腕も止まる。  そして車の助手席から一人、黒のスーツ男が降りてきた。 「土岐課長、待ってください」  降りてきたのはどうやら金子のようだ。黒のスポーツカーに金子とは、まさに悪役の共犯者がこの場に揃ったというわけか。これは明らかに僕の計画とは違う。黒岩に地獄を味合わせて、僕は黒岩を道連れに逮捕される予定だっただけなのに。  金子に止められた土岐が軽く舌打ちする。そしてわざとらしく土岐は金子に尋ねた。 「お前、どうしてここが?」と。  訊かれた金子は平然とポケットからスマホを取り出した。半笑いを浮かべて地図画面をこちらに向ける。 「どうしてって、簡単な話です。警察署で追跡機能弄ってたのはこの俺ですよ。俺が一人だけを追うわけないじゃないですか。せっかく許可もらえたんならとことん。こういうのサバゲーと一緒で敵味方問わず、みんなの位置が分かってなんぼですから」  ゲーム感覚で金子はみんなの位置情報をチェックしていたようだ。 「それにもうひとつ分かったことが」とポケットから一枚の診断書のコピーを取り出す。 「なんじゃ、それは?」と土岐は目を細めた。 「これは二十年前の診断書。怪我をした二人のです」と静かに答えた。  半笑いを浮かべた顔がいつの間にか消えて真顔の金子がいる。愛美の言う通り男から見てもカッコいい色男だ。 「わしと警視監の怪我のやつか。今頃そんなもん出してきてどうした?」 「この診断書には何の問題もないんですが、実は添付されている写真に疑問が……黒岩警視監の右腕には鋭い傷がひとつ。そして土岐課長の首の傷には躊躇い傷のようなものが数箇所見えません?」  遠くからでは見えないその写真に僕は思わず目を細めてしまった。 「それは剛田に首を何度か斬られそうになったのを避けた時の傷で」  土岐の言葉がしどろもどろになる。 「もしかして自傷じゃあないんですか? 不振二刀流って確か、当殺点への攻撃は一回のみ。基本は先取防衛、一振り必中と聞いております」 「それがどうした。酔っ払って外す事くらいあろうが。そうなりゃあ二度でも三度でも振るう」  土岐は恫喝するようにそう叫んだ。それを冷ややかな目で金子は見つめている。 「免許皆伝を受けたのに、その程度の知識とは。それなら不振二刀流つまり不振二次刀流の名の由来は知ってます?」 「それは知ってるに決まっとるじゃろ」と口をご漏らす。  目が明らかに動揺して泳いでいるようだ。 「殺人剣は二次つまり二回振らないという流儀。刀は所詮足止めにすぎんのが戦の常識。敵にも家族がいて、その家族のためにもご遺体には多くの傷を付けないというのが教えだったはず。だから例え外しても二度斬りはしないと聞きましたが」  そこまで言われた時、正木の中国語が頭の中を過った。だから正木は道場での手合わせの時、あんなに連打をしていたのかと。不振二次が二回振らないと初めから知っていたんだ。  土岐はそれを知っていたのか知らなかったのか不明だが、何か含みを持たせてクスクスと笑い出した。 「だから剛田はあんなにのう。不振二刀流を隠すために斬りまくってたのかあ。流派を隠すためにプライドをも捨てるやり口、恐れ入ったわい」  それを聞いた金子は気のせいか手が震えていた。震えながらも金子は土岐にまた尋ねる。 「課長。どうして今、脇差なんか持ってらっしゃるんです?」 「これは警視監のじゃ。わしが奴から奪ってやったわい。そんでそこの正木という男からも」と地面に落ちている短刀を指した。  そして黒岩と正木を捕まえるように指示を出す。  金子は土岐を疑っている様子だけれども、うまいこと土岐にはぐらかされている。共犯染みた行為もきっと土岐に誘導されてのことだろうが、このままでは危ない。そう思った僕は思わず叫んでしまった。 「金子、土岐が犯人だ。早く捕まえろ!」  僕は罵るように叫んでみたものの、土岐の表情は変わらない。 「金子巡査長。そんな言葉に惑わされるな。彼も部長を殺した同罪。とっととそいつも捕まえちまえ」  こちらを向いてほくそ笑む土岐は、脇差を一旦鞘に収めて正木の腕を掴んだ。僕も二人から離れるように後退りする。  だが指示された金子は動かなかった。 「三浦さん、大丈夫ですよ。ところで課長、二十年前の調書に後から駆け込んできたのは三浦さんのお父さんや羽柴さんだったと書かれていますが、その前にもう一人いましたよね?」と尋ねる。 「昔のことなんて、よう覚えとらん」と呆けた顔を見せた。 「黒岩さんですよ。あの日、あなたは三浦辰巳という少年を気絶させて眠らせ紐で縛り袋詰めにし、トランクに隠していた。そして剛田を酔っ払わせ家まで送る口実を作り車に乗せた。そしてその途中きっとトランクの中身を伝えたんだ。慌てた剛田は三浦家に着くなり少年を開放するためトランクから袋を担ぎ上げ玄関先に。その時、それを追いかけるようにあんたは刀を二本持って降りてきた。更に慌てた剛田は家の中まで逃げ込み、家族の人たちと鉢合わせ。袋から急いで少年を出した剛田は土岐のことをきっと話そうとしたはず。でも話す間もなくあなたが現れ何か嘘を言ったんだ。ついでに酔っぱらった剛田に太刀の方を渡して」  そこから太刀と脇差がぶつかり合い金属音が鳴り響いた。不振二刀流の使い手は脇差を振るうのが一般的。特に狭い屋内では太刀を思うように振るえないから。それを計算しての闘いは、剛田にとって断然不利だった。照明は壊され家具やテレビも倒されていく。そして三浦の母親や姉も巻き添えをくって殺されてしまった。 「あなたはその後、黒岩を呼び出し如何にも自分が剛田にやられたような傷を首につけようとした。だがなかなか自分の頸動脈を斬るのは難しく、それを見つけた桜井さんに止められたんだ。きっと桜井さんは事情が分からず自殺と勘違いしたんだろう。だからあなたに近づき止めようとして。計画が失敗すると思ったあなたは躊躇なく桜井さんを斬り、傍にいた子も斬った。その時に黒岩さんが駆け込んできたのだろう。半狂乱の演技を見せたあなたはそのまま暗がりで自分の首を斬り、黒岩にも襲い掛かり彼の腕をも斬って倒れた。その証拠に脇差の刃から検出された黒岩本人の血痕。黒岩さんは首を斬られているあなたを見て剛田が犯人だと思い込み脇差をあなたから奪い取って部屋へと侵入。そうして三浦辰巳さんを保護したんだ」 「それは違う。剛田は身代金が手に入らないと思って三浦一家を斬殺しようとしたんじゃ。それを止めようと必死じゃったが、結果的に護れたのは少年だけ……」  平然と土岐はその時の状況を話す。すると黒いスポーツカーの運転席から一人の女が降りてきた。暗くて誰だかよく見えない。  女と目を合わせた金子は軽く会釈し、話を続ける。 「課長。それは無理ありますって。少なくともその状況なら剛田は刀を持って押し入らないと成り立たない」 「だからそうだと調書に書いてあるだろ?」と横柄な態度になる。 「ええ。調書には確かに。ただ調書にはすべて黒岩が正当防衛のために行ったと書かれてある。けど、今の話じゃ違いますよね」 「そ、それはわしだと処分を受けるからと厳が……」  しどろもどろした口調で話す土岐。その前に先ほど車から降りてきた女が現れ「黙れ!」と一喝した。 「うちは見た。先生が袋を持って家に入っていくところと刑事が二本の刀を持って後を追いかけてったとこ。その調書とはぜんぜんちゃう」  女は堂々とした口調で言い放った。深紅のスカートと赤いリボンが風に揺れて靡いている。うちの社長、桜井可憐がそこに立っていた。 「桜井の娘は言葉が話せないんじゃあ……まさか君がそうじゃったなんて」  土岐は月間マイトレの社長がその時の娘だとはじめて知ったようで表情を歪めた。 「そうよ。このリボンの下に、あなたに斬られた傷が残ってるわ。浦田くんだけが生き証人じゃないんだから。初代『ホームズホーム』なめんなよ」  リボンを外し髪をかき上げた桜井社長は僕の方を向いてウインクをする。  その片目を閉じた瞬間、土岐は脇差を振り上げ桜井社長の方に斬りかかった。隙をついての一撃に社長は身動きが取れず固まっている。 「だから車から降りるなと言ったのに」  土岐の動きにいち早く気づいた金子が桜井社長の服を後ろから引っ張り後ろへ放り投げた。そしてそのまま警棒でその一撃を受け止める。 だが、それも土岐は予想していたのかそのまま蹴りを入れて金子をも吹っ飛ばした。 「この若造が。丁度いい。皆殺しにしてわしが警察に突き出してやる。あの時の剛田のように」  脇差を片手に持ち突っ込む土岐に、金子は慌てながら背中に担いでいた何かを取り出した。それを土岐の方へと向ける。 「盾?」  そう。あれは袖野の道場で見た不振二刀流の盾に間違いない。
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