四十六

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四十六

 まさか金子が剛田鉄心の息子だなんて。つまりは袖野の兄というわけか。確かにこの前、袖野は警察に知り合いがいるようなことを言っていた。それに袖野が行くところ、いつも警察が絡んでいたような気もする。そして愛美が大人しくついて行ったのも頷けるわけだ。すべて金子が仕組んだというなら辻褄が合う。  そんな金子は土岐を立ち上がらせて応援に駆け付けたパトカーの方へと歩き出した。僕はその二人の後ろ姿を見て、尋ねずにはいられなくなる。 「土岐さん、どうしてこんなことを?」  尋ねられた土岐は肩を揺らしてクスクスと笑い始めた。そうして立ち止まりこちらに振り向くと、残念そうな顔で溜め息を一つ。 「浦田罪と同じじゃ。黒岩厳を逮捕したかったからに決まっておろうが」 「え?」 「母親と姉を殺された君は、厳にも同じ痛みと後悔を味合わせようと企んでた。現に君は奥さんを殺し、厳に一矢報いている。わしも愛美ちゃんを手に掛けた。わしから見たら厳も過去に大罪を犯した者。あいつは本来あんな偉い奴じゃあないんじゃよ」 「過去に大罪?」 「そうじゃ。厳は昔、暴力団との争いの中、刀を振るって相手の腕を斬り落とし殺した事があったんじゃ。ちょうどわしら三人が免許皆伝を言い渡されたくらいの頃かな。噴水のような血飛沫に思わず感動したのを覚えている。じゃがそれはそれ。罪は償うものだと思っていた。けど違った。警視庁がキャリア組の厳を正当防衛だと称して不問にしたんじゃ」 「……」 「ただそれだけならまだ良い。縦割り社会の古い体制は今に始まったことじゃないからな。じゃがその後、同じような争いに巻き込まれた羽柴健介とわしは、相手の刀を奪い同じように刀を振るった。下っ端連中の恨みがこっちに向いて殺されそうになったから仕方なくな。なのに、わしら二人には厳重注意と減俸処分が突き付けられたわい」  土岐は口の中に溜まった血痰を吐き一呼吸置く。 「正直驚いたわい。じゃがノンキャリアのわしらは悔しいがそれを受け入れるしかなかった。厳は自由。腕の立つ暴力団員は厳にも同じ思いをさせてやろうと刀で何度か襲ってきた。じゃがその都度、刀を奪い取り返り討ちに。その時かな、ある転機が訪れたのは」 「ある転機?」とまた訊き返す。 「ああ。ヤクザの連中が一般人を巻き込む事件を起こしたんじゃ。……S区のS駅前でわしの妻を巻き込む事件をな」 「お、奥さんを……」  僕はてっきり、土岐は独身を貫いているものだと思っていた。まさか奥さんがいたなんて。 「そうじゃ。その時は気づかず、その日ずっと厳と夜まで。妻の死に目にも会えんかったわい」  目に薄っすらと涙を潤ませた土岐は、二十年前を思い返すように遠くを見つめていた。 「健介は厳に呆れて辞表を出し、フリーの探偵に。そんでわしと二人で『愛刀家・クラブK』を立ち上げた。表向きは健介の個人サイトでな。わしは現役警察官じゃったから表立ったアクセスは慎んだよ」  Kとは羽柴健介と土岐海山のKだったのかと初めて知る。 「Kって二人のイニシャルからだったんすね」と正木も口を挟んできた。  今まで世話になった人が土岐だけではなく羽柴もいてくれたことがよっぽど嬉しかったようで、頬が緩ませていた。 「いいや。他にももう一人。……黒岩厳もじゃ」 「え、仲が悪くて羽柴さんが辞めたのに?」 「ああ。不振二刀流を習ってた時から決めてたチーム名だったからな。奴は覚えてないじゃろうが」  羽柴探偵事務所に「愛刀家・クラブK」の名刺がたくさん落ちていたのを思い出す。それを拾った黒岩が一瞬だけ凄く懐かしそうな顔をしていたっけ。きっと黒岩も忘れてはいない。それを表立って見せなかっただけだ。  結局、正木を「愛刀家・クラブK」の名のもとに助けたのは羽柴ではなく土岐で、その後の正木とのやり取りは土岐がしていたと言う。必要最低限の情報だけを羽柴に流して僕のことを監視していたとか。  また土岐は妻を失った恨みから、やけを起こして通り魔的な犯行を繰り返したという。黒岩を試すように。だが黒岩は暴力団ばかりに気を取られ、目先の犯人をずっと見落としていた。それに怒りを覚えた土岐は黒岩が捕まる算段を打ち出した。黒岩が警視庁への配属が決まったハロウィンの時期に。 「知っての通り、三浦家での誘拐殺人じゃ。剛田と三浦の奥さんが仲良くてな。それを利用して怪文書を三浦家に。するとすぐに警察が動いたわい。見廻りが強化されて、わしも厳もよく家に行った。お陰で家の様子が分かったよ。後は概ねさっき金子くんが話した通りで、いつか君が厳を追い詰めてくれると期待してな。ただひとつ違うとすれば、わしが死ねなかったことくらいじゃ。もともと厳は寡黙で言い訳が嫌い、そのうえ警察官としてのプライドも高く正当防衛了承派。今までの負い目も厳にはあるから逃げんじゃろうと」  肩を落とし跪く黒岩を見ながら土岐は言う。  僕も黒岩があそこまで落ち込んでいる姿を初めて見た。娘や孫を失った喪失感に苛まれた顔は、僕が夢見てきた光景と同じだ。だけどこの顔を見る時は黒岩が犯人だった時だけでいい。 「お義父さんが犯人じゃなかったんだな。でも、どうしていつも義父が事件現場に?」 「それは、わしが呼んでるからじゃ。厳にどれも同じ犯罪だと認識させたくて」 「わざわざ無差別殺人してまで?」 「ああ。わしも死ぬつもりじゃったのにのう。どうして......」 「ふざけんじゃねえよ」  倒れている沙耶を見ながら小さく呟く。正木が引き金を引いたとはいえ、僕も罪は同じだ。愛美を見殺しにして沙耶を正木と共に殺したに等しい。もしも黒岩と愛美が一緒にいたなら遅かれ早かれ僕が手を出していた。二人がこうなることを計算したうえでやってのけたのだから、土岐と僕は差ほど変わらない。悪を捕まえるために悪をするしか方法が見つからなかった僕の心は矛盾だらけだった。
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