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四十七
「金子くん。僕にも手錠を」
金子に近づき、そっと両腕を伸ばした。
「その必要はありません。あなたを守るのが今回の任務でしたから」
流し目で僕に微笑む金子は自身が乗って来た黒いスポーツカーに手招きをすると、子供が一人降りてきた。
愛美と同じ格好をした子が僕の方へと走ってくる。
「う、嘘だろ? 愛美はさっきつり橋で斬り落とされたんじゃ……」
そっと赤い野球帽を上げた女の子。僕は親として恥ずかしくなり思わず目を逸むけてしまった。
「先生! 愛美ちゃんに似てるっしょ?」
愛美とはぜんぜん違う聞き覚えのある声に思わず目を見て凝視してしまった。目の前にいたのは愛美の格好をした袖野雪。
「愛美は死……イタタタタ!」
死んだんじゃ? と言いかけた瞬間、袖野に腕を後ろに捻じられ激痛の叫びをあげる。
「愛美ちゃんは、あたしの好きなように護らせてもらいました。『ホームズホーム』は未解決事件を体を張って解決しま~す!」
「マジか」
「あ、それと愛美ちゃん、ちょっと風邪気味だったんで、今は家でぐっすり寝てもらってま~す」
固め技を決めながら僕の耳元で答える。
「そうだったの? イタタタタ」と片手を地面に何度も叩きつけてギブアップした。
「つり橋でこのあたしがみすみす斬られるわけないじゃないですか。バンジーの練習も特訓の一環なんですよ。それになんも知らない小さな子に余計な事言わんでください。あんな父親想いの娘さんを悲しませちゃあいけませんて」
それを聞いて僕は言葉を失った。父親想いなんて今まで一度も感じたことはなかったけれど、僕は愛美に嫌われていなかったのか。それなのに僕は愛美に決して許されないことをしてしまった。僕が姉や母を失ったように、愛美の母親を手に掛けてしまったなんて。
「すまん」
自分で謝りながら「すまんで済めば警察要らねえ」という子供の頃の言葉を思い出した。大きな後悔に苛まれる。そんな僕に袖野がそっとお守り袋を手渡してくれた。
袋の中身を無造作に触りながら確認していると、その後ろから「お疲れ様。ようやく終わったわあ」と声がかかった。桜井社長が僕の顔を見て微笑む。
「もしかして……」
「そうよ。ぜーんぶ、うちの仕業。初代『ホームズホーム』が生み出した筋書き。音無財閥に協力してもらって剛田兄妹に頼んだのよ。被害届は出さずに二十年前を匂わすような悪戯をばら撒いてって。定年間際の黒岩警視監をおびき出すにせよ、別の誰かをおびき出すにせよ、やるなら今年しかないと思ってね。それもハロウィンの時期に~」
鼻高々と喋る桜井社長は、ようやく解決したこの事件にとても満足そうだった。
「これで浦田くんは新しいミステリー小説書けるわね。正木もとっとと起きなさ~い!」
倒れている正木の腕を肩に載せて桜井社長はよっこらしょっと立ち上がる。とても痛そうな顔をしている正木は土岐にやられた鳩尾を押さえて桜井社長に寄りかかるように立ち上がった。
「社長! 僕と正木はもう戻れません」
倒れて動かなくなった沙耶を見ながら涙を堪える。さっきから後悔の念ばかりが頭の中をよぎり、それ以上先の言葉が出てこなかった。なんて言えば自分の罪を許してもらえるのだろうかと、そればかり考えて。
そんな僕を見ても桜井社長は表情一つ変えずにこちらを見ていた。驚くでもなく、怖がるでもなく、ただじっと。そうして正木を僕の方に投げ捨てポツリと言った。
「浦田くんは沙耶さんを本気で愛してたんだね。ああ、残念残念。もっと早めに声掛けときゃあ良かったわあ」
冗談なのか本気なのか分からない桜井社長の言葉に、僕は少し救われた。
「まあいいわ。これから先も仕事のパートナーには変わらないんだから。ビシビシうちのために働いてもらうわよ~。覚悟しなさい」
「だからあ……」
桜井社長らしい、こちらの話などまったく聞く耳持たない態度だ。これから僕と正木は逮捕されるというのに、それすら気にしちゃいない。それどころか土岐の傍へ行き、蹴りを一発入れる始末。乱暴なお嬢さんそのものだ。
そのあとは金子の方へ行き、そちらにも軽く蹴りを入れていた。
「浦田くんが大泣きする前に、とっとと教えてあげなさいよ。今回の真相を」と金子を突く。
黙って頷いた金子は先ほど争って落とした拳銃の前に立ち静かに拾った。
「三浦さん、ご心配なく」
金子は拳銃を僕へ渡して「よく見て」とそう言った。よくよく見ると本物そっくりのモデルガン。拳銃からわずかに煙が出ているが硝煙反応ではなく特に何も匂わなかった。僅かにヒヤリとした冷気に肩の力が抜ける。
「なんだよ」と僕は銃を持つ手が緩む。
「本物そっくりの銃に、けっこう痛い銃弾。それに銃弾から巻かれる強めの笑気と……」
「笑気?」と聞いて目頭が熱くなった。
そんな僕を気にもせず自慢げに話す金子は本当にモデルガン好きのようで、どのように改造したらこのような物が出来上がるかを語り始めた。
だが、そんなものはどうでもいい。ただ『笑気』が混ざっていると聞いて納得したし、途轍もなく安堵した。確か医療分野ではリラックス効果や麻酔効果があると言われている亜酸化窒素と酸素の混合ガス。人によっては眠ってしまうこともあるそうだ。
つまり沙耶は銃で撃たれて死んだのではなく、ただ笑気で眠ってしまっただけだったのか。連日連夜働き詰めだった沙耶には敵面、この笑気は効果的だったに違いない。
「もうすぐ起きますよ。黒岩警視監、体を揺らして」
金子に言われるがまま黒岩が沙耶の体を揺らす。するとゆっくりと沙耶が体を起こした。
「イタタタタ。転ぶの計算に入れてなかったわ。……あ、父さん」
「さ、沙耶。生きてたか。良かった良かった」
「そりゃあそうよ。ちょっと触りゃあ分かるじゃない?」
黒岩と手を繋ぎ立ち上った沙耶は服に付いた泥を払って、そして僕の方に駆けて来たかと思うと、そのまま腹に拳を一発入れてきた。
「痛かったんだからね」
「……ごめん」
沙耶は怒っている口調なのに、泣いているような笑っているような顔をしている。
「今日から私たちは本当の家族よ。もう誰も恨みっこなし。父さんも辰巳さんも」
堪えていた涙が自然に頬を伝って落ちていく。気が付くと僕は沙耶をぎゅっと抱きしめて何度も謝っていた。そんな沙耶も胸元で涙を流しながら頷いていた。
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