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五
実際には物書きだけでは食っていけず、地元出版社に勤めていた。「月刊マイトレ」という情報誌を扱う出版社だ。身近なトレンドから食レポ、最近のニュースまで幅広く扱っている。
そこのサスペンス作家である僕はペンネーム「浦田罪」として定期連載させてもらっていた。今はここの記者の一人でもあるけれど。世論にあったコラムを書いたり、書評や食レポをしたりと多岐にわたって活躍している。どこかに小説の小ネタになるような事件がないかと期待して。
「ツミッチ。そろそろ新作お願いしますよ」
「うっせえなあ、マサ。分かってるって」
僕より三つ下の編集者正木忠が暇がある度に僕を突いてくる。正木は骨しかないかと思えるほどの細身な体つき。ひょろっとしているチンアナゴのようだ。そんな正木はいつもハンチング帽子に色付き丸メガネを掛けている。僕より若いくせして昭和感たっぷりの漫画家みたい。トレンドを追いかけている若者の服装は時としてまた回帰すると言うが、まさに正木のファッションはそういう感じだった。
そんな正木は僕の新人時代からのファンの一人で、ずっと僕を応援してくれている。僕の作品にはリアリティがあっていいと。「できれば実際そんな風に上手くいくか試してみたいものだ」と興奮気味に言葉を漏らして。すべては想像で描いただけの夢物語なのに。
ロリコンで愛刀家の正木は女子の表現と時代背景について非常にうるさかった。僕の小説の校正をする度、そこを徹底的に見直される。女の子を常日頃から観察しているのか、刀好きで歴史に詳しくなったのか知らないけれど、それらに関しては僕も一目置いていた。
「また突拍子もない事件を描いてくださいな」と色付き丸メガネを拭きながら暇そうにぼやく正木。
「じゃあなんかネタくれよ」
「そりゃあ勘弁。奥さんプロなんだから、そっちから仕入れてちょうだい」
「はあ?」
「プールーフーシュエ、イェンディフーズ(不入虎穴焉得虎子 )」
「何言ってんの?」
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』ってね。ネタ探しなら、やっぱ警察っしょ?」
後漢書に記された班超という武将の言葉を引用したようだ。たまに正木はこんな風にインテリ風を吹かしてきやがる。
「そんな遠回しに言わんでも分かっとるわい。日本語で言えよ、日本語で」
正木のヘタクソな中国語を聞いて朝からイラっとさせられながらも、デスクの前で二人して頬杖をつき妄想に耽っていた。すると遠くから大きな声で僕たちを呼ぶ声が。
「浦田くんとマサキ~、ちょっと来てえ」
女社長桜井可憐のアナウンス調ボイスだ。同世代とは思えないほど愛らしい声に思わずドキッとしてしまう。バラの香りの中で棘に刺さった感覚だ。サボっているのを桜井社長に見られたかもしれないと思うと、無意味に机の上を片付けていた。
「もう少しで片付きますんで、すぐ行きまーす」
慌てて手を挙げた僕は正木と急いで社長室へと向かった。
「早く、こっちこっち。今日も楽しんでますかあ?」
若々しいハツラツとした桜井社長にはいつも元気が貰える。声だけで十分ラジオやテレビのアナウンサーも務まるんじゃないかと思えるくらい耳障りの良い発語なのだ。
それと桜井可憐という名だけあり、社長とは思えないほどの幼さが残るルックスだった。あまり威圧感も迫力もないけれど、直感で記事を選び読者の心を鷲掴みするズバ抜けた才がある。木村編集長もぐうの音が出ないほどに。清潔感のある桜井社長の髪は肩上までに揃えられ、左耳側にいつも綺麗なリボンをあしらっていた。今日も明るめな赤いリボンを左耳側に、そして胸元には大きな深紅のリボンが。スタイル抜群の桜井社長はタイトなワイシャツにやや控えめな深紅のフレアスカートを好んで着ている。白と控えめな深紅を基調にしたファッションがいつもの社長スタイルだ。派手に見えるが、桜井社長が着ると決して派手ではない。それでいて地味でもない。強いて言えば、桜の下で静かに読書をしている大正時代の女学生風な女だった。
そんな桜井社長は何故だか独身を貫き通している。美人すぎて男たちが近づき難いのか、本人の理想が高いのか知らないけれど、もったいない限りだ。十代でアパレル会社を経営し、そのまま出版社まで作った桜井社長。当初は自分のデザインした服を宣伝するのが目的だったらしいが、新人賞を取った僕を起用してから流れが変わったという。若いうちに、好意のある男にでも裸体を見せてやれば良かったのに、あの年まで男の噂を一切聞かないなんて勿体ない限りだ。まあ僕が知らないだけかもしれないけど。
「今日からノベル組に新人さんを入れま~す」
間延びした喋り方をする桜井社長は突然何を思ったのかこんな時期に新人を紹介してきた。小さな女の子が、がっしりと桜井社長に肩を組まれている。
見た目はまだまだ少女っぽい新人。どこの馬の骨とも分からない幼さが残った顔立ちをしている。背が低く肩くらいまでのカールが入った髪に今どきの明るい髪色、可愛らしい二重と大きな瞳がそのような印象を与えていた。なんとなくうちの娘と同じ背格好なのが気になる。イライラさせる奴でなければいいのだが。
そんな少女が緊張した趣で「はじめまして」とお辞儀をしてきた。
「中途採用者?」と桜井社長に尋ねる。
「いいえ。大学三回生の袖野雪さん。小説家を目指してるんだってさ。うちが大学で作った『ホームズホーム』て言う探偵ゴッコサークルの後輩でね、ついつい気分でバイト雇っちゃった~」と桜井社長はいたずらっ子のような眼差しを向けて言ってきた。間延びした言い方が冗談ぽい。
「はあ?」
「ネット名キユちゃんはね、少女系の小説に光るものがあって、そこで仲良くなったのよ。そしたら浦田くんのファンだって言うからさあ……」
頭を軽く叩いて舌を出すお茶目な桜井社長は直感で何かをした時いつもこんな仕草をする。今回もまた特に考えもなく採用したようだ。木村編集長が聞いたらなんて顔するだろう。
「まあ、このご時世、社長も金があることで良かった良かった」と嫌味を込めて呟く。
「あらあ、金の生る木は浦田くんとキユちゃんで育ててよ。少女とサスペンスの合わせ技、期待してるんだから~」と、いとも簡単に返して去っていった。なんて無責任で無計画な女だ。いつもこんな調子で社長に踊らされる。
「袖野雪です。浦田先生に憧れて来ました」
「マジだったの?」と僕は驚いた顔を見せて「三浦」というネームカードをポケットにしまい会釈した。
「はい。あたし、探偵ゴッコして思ったんです。サスペンスとは何ぞやって。 それをどうか教えてください」
面倒臭そうなガキがやって来たものだ。そもそもサスペンスなんて人から教わるよりも多くの本を読むべきだと思うのに。最近では完全犯罪や密室殺人ものなんてざらにあり、どれを手にとっても面白い。巧妙なトリックが仕掛けられていて犯人が分からないように伏線もしっかり描かれている。王道故に思いもよらないどんでん返しも当たり前だ。
小説のサスペンスは最後に犯人の自供や名探偵の解説が入り幕を閉じるのがオチだけれど、それはそれで定番染みていてスッキリする。ただ僕は文庫本の帯に「最後に驚愕な真実が」なんて書かれてあると最後から読んでしまうたちだが。これについては新人に黙っておこう。
推理しながら読破する作家もいれば、僕みたいに結論を知って伏線の張り具合を紐解くように読む作家もいる。完全犯罪を目論むには結論が最も重要だからだ。どの犯人も予想外な展開を潜り抜けて遂行していくのが面白い。決して目的を失わないし、犯人にしか分からない結末を迎えるまでは諦めない。その執着心と善悪の狭間、時には究極の選択を迫られた時の奇抜な動きと巧妙なトリックが読者を興奮させる。それは結論から読んでも同じだ。
ただそれを成就した暁には自供か自殺かが定番でそれが小説なのだが、そうする必要が本当にあるのだろうか? 実際にはホームズのような名探偵なんていないのだから完全犯罪が成立すれば自供なんてする必要ないだろうに。事件は別の何かに紐付けされて解決されるか、お蔵入りになるかというのが世の常だと思うけれど、読者はそれを望んでいないのかもしれない。作家からしても伏線の答えを自由に描けるページとして好まれている「結び」だから仕方がないけれど、僕はそんな腹を割る偽善な犯罪者が嫌いだった。犯人の本当の意図は犯人にしか分からない。善と捉えるか、悪と捉えるかも読者に委ねる作品があっていいと思うのに。
「ツミッチ、良かったっすね」
「いやいや。ぜんぜん良かねえよ」
恥ずかしそうにしている新人を見ながら軽く否定する。もともと一匹狼で小説を書いていた手前、誰かとつるんでするのが苦手だったから。社長の気まぐれとはいえ、とんだ荷物を渡されたものだと。
「俺は正木忠。雪ちゃんよろしくな」
「あ、はい」
「一応、編集とか校正とか任されてる。少女系の小説は俺の得意分野だから、どんどん見てあげるよ」
「へえ。うわっ、凄~い」
「社長の言う通り雪ちゃんの少女系とツミッチのサスペンスの融合ってありかもしんねえしな。俺、そういうの好きだぜ」と下顎を触りながら一人頷いていた。無精ひげを触るのが正木の考えている時の癖で、そういう時は要らぬ仕事を増やされる。
「ロリコンのサスペンスなんて趣味じゃねえから、マサが執筆しろよ」と思わず言い返した。正木はドストライクで好きかもしれないが、僕は娘を思い出すだけで反吐が出そうになるから絡みたくない。
そんな風に思っていた僕だったが、正木はロリータ新人が気に入ったのか一人で何やら盛り上がっていた。新人も新人で正木のトークに圧倒されている。最初はチャラ男を見つめるような冷たい眼差しを向けていたのに、正木が少女系作品に興味があると知ってからは目の色が変わった。明らかに態度が違う。正木のくだらない雑談にもメモを取っているほどに。新人の輝く瞳に正木の鼻がどんどん高くなっていくのを感じた。
「雪ちゃん、昼飯ご馳走するよ。歓迎会も込めて」と正木は調子いいことを言い出した。
「ホントですか? ありがとうございます」と素直に新人も喜んでいる。
「マサ、僕にも驕りで」と便乗すると「それはダメダメ」と片手であしらわれてしまった。
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