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10 卒業
迷っているうちに時間が過ぎる。焦ることはないが、張り切る気力も少し減った。『バー プリンセス』のママのリカがしばらくお休みしなさいと真琴を店から遠ざけた。真琴も素直に従った。勤め先が会社だけになったので、真琴は久しぶりに時間が有り余っている。
「こんなにゆっくりするのっていつぶりだろう」
気がついたら学業とバイト、ダブルワークの日々だったので時間を持て余す。ぼんやりしていると葵から会おうというラインが入った。
公園で待ち合わせたあと、いつものようにファミリーレストランに行かずに葵がごちそうしたいと言ってリゾートホテルでのディナーになった。
「今日はどうしたの? こんな高級なところで」
落ち着かない真琴に葵は微笑む。
「心配しないで。もうこれが最後かもしれないから」
「え?」
静かに微笑む葵はやはりどことなく三島浩一郎に似ていた。真琴はハッとした。場所が違えども三島浩一郎との最後の食事もリゾートホテルだった。
「俺、家を継ぐんだ」
「卒業したら今度は海外へ行くんじゃなかったの?」
「残念ながら、母親の具合が良くなくってさ。もう逃げられないってやつ」
詳しい話は聞いていなかったが、葵は社長令息で現在、彼の母親が取締役に就いている。彼女の元気なうちは会社に入るのが嫌で大学院に進んだり海外留学を考えていたりした。
「だからもう遊べない。覚えることがいっぱいあるし、見張りもついちゃうしさ」
「そっか……」
「とりあえず乾杯」
「ん。卒業、じゃなくて就職おめでとうってことになるのかな」
上等なワインを口に含んだが、渋くて後味を引く。色とりどりの華やかなサラダは食べ物に見えなかった。メインディッシュも終わり、宝石のようなデザートを壊さないように気を付けて食べている真琴を葵がじっと見つめる。視線を感じて真琴は「なに?」と顔をあげる。
「いや、慎重だなって思って。食べ方が」
「だって、綺麗だからぐちゃぐちゃにしたくないし」
もう一度黙った葵は「上に部屋をとってるんだ」といつも以上に静かな声で囁いた。
「えっ」
真琴はデザートスプーンをカチャリとプレートに置いた。
「あ、あの部屋って。彼女は? 葵君、あの、そういう趣味ないでしょ?」
「彼女なんかとっくに別れてるって。もう少し話したいことがあるだけ。もっと静かなところで」
「ここじゃだめなの?」
「ちょっとね」
「でも、あの。部屋って……」
まさか話をするためだけに部屋をとることなどあるのだろうか。葵がゲイではなく女性を好む性質であることはよく分かっている。真琴は男なのだ。ウィッグを被り、ワンピースを着ていても、近い距離で見れば男の肉体を持つことはすぐにわかる。ただ次の彼の言葉で真琴は付いて行くことに決めた。
「三島浩一郎の行方知りたくない?」
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