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ハロウィーン、一億を越える妖怪の群れに彼女は一人で立ち向かった。一億という妖怪相手にも、彼女は一歩も後退することなく、前進し続けた。
剣術で妖怪を次々と薙ぎ払い、妖術で妖怪の力を行使して妖怪を倒し、地形を利用して奇々怪々な動きで妖怪を翻弄する。
それ故、彼女には魔女との異名がつけられた。
彼女はいつだって、どんな時だって後ろを振り返らない。そんな彼女に僕は惹かれていた。だから僕も彼女の側で戦うと、そう決めた。
「神薙先輩、僕も戦います」
僕は妖刀を片手に、神薙先輩の側に立っていた。
「裏世、お前にはこいつらの相手は危険すぎる。ここは私に任せて、お前は逃げてくれ」
「僕は先輩と戦いたい。僕も戦わせてください」
神薙先輩を護りたい。
僕じゃ力不足だと分かっていても、僕は神薙先輩を護りたい。
だからーー
「先輩、僕も戦います」
先輩は呆れていた。
「分かった。好きにしろ」
「はい」
僕は妖刀を握り締め、一億を越える妖怪の群れに刃を向ける。
「滅ぼしてやる」
先輩とともに、僕は妖怪と対峙する。退治する。
さすがの数に怯みそうになるも、それらを踏み越えて僕は前に進む。
ーーもっと強く、強く、強くならないと。
先輩は目にも止まらぬ速さで次々と妖怪を倒していく。先輩が戦っているのに、僕が足を止めて良いはずがない。
進まなきゃ、走らなきゃ。腕が折れてでも、骨が折れようとも、僕は先輩と一緒に戦うんだ。
空が暗雲に包まれていたこの夜に、少しずつ朝日が昇り始めていた。
「もうすぐ……夜明けが……」
妖怪は日には弱い。だからやがて妖怪は消失する。
僕たちは護りきったんだ。この世界を。
「困ったな。妖怪の侵略をたった二人で食い止めるとは」
息が詰まるほど、謎の威圧感が全身を流れていた。指一本動かすことすら躊躇うほどに、その威圧感は圧倒的なものであった。
「だが君たちはここで私が殺そう」
苦しい、そう感じさせるほど、そこに現れた男は恐ろしかった。
「裏世、早く逃げろ。この男には敵わない」
先輩ですらそう感じていた。
「そちらの少年の方が弱そうだ。まずはその少年から」
男は僕のすぐ側まで迫っていた。だが男の頬へ、一刀の一撃が直撃した。男は吹き飛びながらも、宙で身軽に一回転し、着地する。
「君、強いな」
「私の後輩に手出すな」
その時の神薙先輩は、怒っていた。
見るもの全てを枯らす鋭い目に、炎を凍らす冷たい声。そんな先輩は初めて見た。
「裏世、ここは私に任せてお前は逃げろ」
「でも、」
「最後くらい護らせてくれよ。お前のことを」
神薙先輩は、泣いていた。
「先輩……」
それを見た僕は、何も言えず、その場から立ち去ることしかできなかった。
裏世が去り、神薙は安堵する。
「逃がした、か。だがここであなたは死に、やがてあの少年も殺す」
「させない。私は、私が護りたい人たちのために強くなってきた。強さを求め続けてきた。だから私は、負けないんだよ」
神薙は強く刀を握る。
妖刀ではない分、威力は落ちる。だがその刀は神薙にとって、大切な刀だった。
「母上、私は母上との約束を全うします」
ーー世界を護るという役目は、あなたに任せたよ
「はい、母上」
「君では私は殺せない」
「それでも、私はお前を倒す。たとえ私の全てを懸けたとしても」
「勇敢だ。だが勇敢なだけでは何も護れない」
「護るさ、この刀で」
神薙は一瞬で男の間合いまで詰め、男の右肩から左腰にかけて刀を振り下ろした。かすり傷だったものの、その一撃に男は少しの動揺を見せていた。
「速い?あれほどの数を倒してもまだ、戦えるか」
「私を侮るなよ。私はまだ、戦える」
神薙は戦う。
たとえ体が限界を向かえていても。
「私も本気で行こうか」
神薙と男は激しくぶつかり合う。
死屍累々の中での攻防、妖怪の死体を踏み分けながら、両者は互いに際どい戦いを繰り広げていた。
一進一退、刹那ですらも油断のできない敵同士、一度でも攻撃をミスれば、その瞬間に敗北が決定する窮地での戦闘。
神薙は全身から血を流し、体が限界の遥か先を行きながらも、それでも戦い続けた。
ーーやがて決着の時が来る。
神薙の額から流れる汗が、右目に入る。右目を瞑った瞬間に、死角から男は火炎を纏わせた拳を神薙の頬に命中させた。
その一撃を受け、神薙は激しく吹き飛んだ。
「私の体に触れれば毒を触ったのと同じで、死が待っている。そして君は私の拳を受けたね。その時点で君の敗北は決定しているんだよ」
神薙は頬から焼けるような痛みと苦しみに襲われる。
「泣き叫べ。君の敗北が決定したのだから」
ーー負けたくない。私は、母上との約束を……
激痛の海に溺れておきながら、神薙は立ち上がった。神薙は刀を握り締め、油断する男の首目掛けて刀を振るう。
「まずい……」
男はすぐに腕を犠牲にして防いだ。刀身は腕に刺さり、刀は動かなくなる。
それでも、
「私はここで、負けられないんだああああああ」
神薙が振るう刀は折れた。それにより、短いながらも刀身が進み続ける。
「これが私の最後の一撃」
神薙の刀身は弧を描くようにして振るわれ、男の右腕を斬り飛ばした。腕は宙を舞い、それを装飾するように血飛沫が激しく舞い散る。
男は斬られた腕の断面を押さえながら、惨めに叫んでいた。
「私が……、私がぁぁぁあああ……」
叫ぶ男の声に隠れるように、神薙は呟いた。
「申し訳ありません、母上。私には世界を護ることができなかったよ。ですが大丈夫です。私には、最高の後輩がいる。裏世……あとは…………任せたよ」
彼女が戦った姿は、誰よりも鮮烈で、そして美しかった。
だが、毒に体を冒されて、神薙はもう動けずにいた。
その様子を、陰で一人の少年が見ていたーー裏世だ。
仕留める好機が、今目の前に生まれた。男は裏世は遠くに逃げたと思い込み、油断している。今なら男を仕留められる。
それでも裏世は脅えていた。震えていた。
「動け、動け」
そう何度も体に言い聞かせても、体は一歩たりとも動かない。
「走れ、走れ、走れよ。今走らないと、神薙先輩を救えない」
分かっているのに、動かない。
恐怖に飲み込まれ始める裏世の脳裏に、神薙との思い出が呼び起こされる。もしここで神薙が死ねば、その日常は二度と彼の前にはやってこない。
「救わないと、救わなきゃ。僕は……僕が戦う」
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