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仕事だ仕事だ!
それからふとモヤる瞬間は何度も訪れたが、悩んでいる時間はない。仕事は容赦なく降り注ぐ。
8月に入り1月開催のイベントのプロジェクトが始まっていた。斉間の古巣であるゲーム会社主催のライブイベントだ。
結局是久さんのチームのOEM案件とうちのチームのMD案件を合わせて取ることが出来たので、企画からイベントチームと共同で進めている。
会議では両チームが揃って議論を交わす。
「な〜和泉さ〜ラバーバンドはライブでしか売れないからこっちで作るべきだと思うんだけど」
是久さんは相変わらず軽い。10人収容の会議室。肘をついて物販アイテム案リストを眺めながら気だるそうに呟いた。別にいいんだけど舐められてるようにしか聞こえないんだよな…。
「あ、はい、それは理解してます。仮で入れた案なのでライブ系グッズはそちらでお願いします。定番のアクスタはこっちで作るので」
「アクスタもライブ限定にした方が売れるんじゃないの?」
イベントチームのメンバーから異論が出た。
MDチームは私と斉間の2人、イベントチームはリーダーの是久さんを含め6人。売上も圧倒的にあちらのチームの方が大きい。
それでも数で押し切られないよう遠慮はしない。
「アクスタはどこでも満遍なく売れる商材なので販売数を確保するためにMDに任せてください。」
「譲らねえな…」
「チーム共同でやるなら会社全体の利益を考えるべきです。」
「真面目だなぁ。俺はイベントでの単発売上の実績作りたいんだけど。まぁいいや、そこは譲るわ」
「ありがとうございます。その代わり缶バッジはブラインドにしていくつかライブ限定のを入れませんか?」
「いいよ。デザインそっちでやってくれる?ライブで売れた分の製造費は持つわ」
「了解です。」
相手も社内とはいえこちらもチームとして売上予算を達成しなければならないわけで、確保できる売上は確実に押さえておきたい。譲れるところは譲りつつ、絶対に奪われたくないところは全力で守る。
「そういえば斉間君、『ルナレクス』シリーズの新作っていつ発売なの?さすがにライブで発表するっしょ?」
と是久さんが斉間に対し古巣の機密事項であろう質問を無遠慮に投げ掛ける。
『ルナレクス』は斉間のいたゲーム会社の看板シリーズだ。
「どうでしょうか。僕がいたときはそういった話はなかったと思います」
…嘘つけよ。
ゲームの開発はここ最近長期化しており、数年かけて完成させることもザラだと聞く。発売や発表時期はかなり前から予定されていたはずだ。つい半年前まで所属していた斉間が知らないわけがない。しかもライブに大きく関わるライセンスのチームにいたのだ。わざと知らない振りをしたに違いない。
ふとここで鎌田の言葉を思い出す。
『うちの取引情報を流用するためですよ』
もし斉間が前職の情報を口外するような人間だとすると、この場でも簡単に漏らしてしまいそうなものだ。でも斉間は言わなかった。そのことにホッとしている自分がいる。やっぱり鎌田の妄想に過ぎなかったのではないだろうか。
…ただ斉間が是久さんを好きではないからスルーしたという説も捨てきれないけれど。
「あそこは情報統制厳しいから聞いても教えてもらえないと思いますよ」
これ以上は訊いてくれるなと言わんばかりの見事なシャットダウンだった。
興を削がれた是久さんがつまらなそうな顔をして話題を変える。
テキトーに乗せとけばいいのに。斉間は私をからかうようなところがあるくせに変に真っ直ぐな態度を取るときもある。
どちらも斉間なのだろうが私は前者の方が…
っていやいや!何考えてんの!?
もうあんな目に遭うのは懲り懲りだ!
気持ちが落ち着かなくてなぜか負けた気分になるし。
あの在庫部屋での一件以来斉間とは一定の距離を保ちつつ仕事をしている。
もう憶測や疑念で心を乱されたくない。
そうならないためには深く関わらないのが1番だと悟ったのだ。
幸いなことに斉間からあれ以上の追及はなかった。斉間は斉間で私との間に壁を感じているのか、無理にこじ開けてこようとはしない。
このまま何もかも無かったことにして時間が過ぎるのを待てばいい。そのうちどうでもよくなるだろう。
「…で?カプセルトイはどうすんの?ベンダー任せ?和泉???」
ハッ!
ヤバい。ボーッとしていた。
「えっと、それについては…」
コイツ聞いてんのかよという視線に気づかないフリをしつつ慌ててPC内のファイルを開こうとしていると
「いくつかアイテムの候補を挙げて試算を組みましたが、歴代シリーズパッケージのアクキーが1番採算が見込めそうです。代理店にベンダー用意してもらって作るのはこっちで実施するのでいかがですか?」
斉間が間髪入れずフォローに入ってくれた。
「へーいいじゃん。確かに皆回してくれそうだな。代理店には俺から話通すわ。この前やったとこでいいだろ」
「ありがとうございます。ではこちらで申請を進めておきます」
助かった。会議は続いているのでチャットで斉間に御礼を伝えた。
『ありがとう。助かりました』
『いえ』
う、うーん…なんだかなー。別にいいんだけど向こうから距離を置かれるのもそれはそれで…。自分がめんどくさい女である自覚はあるが、複雑な心境は自分の中では隠せない。
今日も必要最低限の会話しかしていなかった。チャットでもだ。本当にこのままでいいのだろうか。駒井さんが言っていたという『年明け』はすぐにやってくるだろう。私はその時どうするのか。
会議が終わるまで斉間は隣に座る私に一瞥もくれることはなかった。
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