現実を置いて駆け出す想い

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それからは、あっという間だった。 直くんは引き継ぎのためにたくさん残業してたから、会社でも全然話せないまま、退職の日を迎えた。 まぁ、話したら、泣いちゃうから、それで良かったのかもしれないけど。 最後の花束をもらった直くんに、同じ課の辻本さんが尋ねてた。 「いつこっちを立つんですか?」 「明日、午前中に引越し業者が来て、夕方4時過ぎの高速バスで帰るよ」 明日、もういなくなっちゃうんだ…… 私は込み上げるものを飲み込んで、うつむいたまま聞こえてないふりをする。 「ああ! そこの駅前の高速バスターミナルですか?」 「そうそう。辻本にも今まで世話になったな。ありがとう」 そんな会話が続く。 私は、他の社員のように直くんに声を掛けることも出来ず、ただ花束と荷物を抱えた直くんを人混みの奥から無言で見送った。 直くん…… 私は、直くんがいなくなると、そのままトイレに駆け込んで泣いた。 なんで直くんは旅館なんか継ぐの? ここで会社員のままなら、ずっと一緒にいられたのに。 私は、ひたすら声を押し殺して泣いて、泣き腫らした顔を見られないように、サラッと挨拶をして会社を出た。 駅に向かって歩くと、嫌でもさっきの会話に出ていたバスターミナルに目が行ってしまう。 明日、ここから直くんはいなくなっちゃうんだ。 今夜のうちにこのバスターミナルが火災とかの事故でなくなっちゃえばいいのに。 そんなどうしようもないことまで考えてしまう。
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