第一章

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「どうぞ、召し上がれ」  出されたご馳走を目の前にしていたら、何故だか出会った頃の記憶が蘇ってきた。さっきカレンダーを見て、崇琉と出会ってから一年以上が経っていたのに気づいたせいだろう。 「伊織?」 「あ、ごめん。考え事してた」 「仕事のこと?」 「うん、まぁ……そんな感じ」  まさか本人に出会いの思い出に浸っていたなんて言えず、誤魔化すようにスプーンを手にした。今日のメニューはキーマカレー。一口掬って頬張る。 「伊織は美味そうに食うなぁ」 「だって美味いんだもん」 「そう言ってもらえると本当に作りがいがあるよ」  ゴロゴロと沢山の具材が入ったルーは崇琉が一からスパイスを配合したらしい。サフランライスの鮮やかな黄色は視覚も楽しませてくれる。頬張ると挽肉と野菜の旨味がじゅわりと広がった。  聞いたところによると長年アルバイトとして勤めていた飲食店を最近辞めたらしい。それでも料理は好きなようで時折友人を招いてはこうして手料理を振る舞っているそうだ。伊織からしたら他の人間が崇琉の料理を口にしているだけで面白くないのだが、崇琉にとって伊織は大勢の中の友人に過ぎないので文句を言う筋合いもない。  出会って一年。伊織は相変わらず忙しくしている。一方の崇琉も乙女ゲームで演じたキャラクターが見事にハマり順調に仕事が増えていた。それに加えてSNSにアップしているナレーション付きの料理動画が見事にバズり、人気声優の伊織と肩を並べるくらいのフォロワーを獲得している。最近では料理本を出さないかと話が出ているらしいが本人はあまり乗り気ではないらしい。 「そう言えば食べる前に写メ取った?」 「取ったよ。動画もバッチリ」 「この前のフレンチトーストの動画、面白かったよ」 「まじ? 伊織に褒められると嬉しいね」  思わず咽せそうになって慌てて水を飲んだ。何気なく褒めただけなのにそんな風に喜ばれると胸が苦しくなって仕方がない。  テーブルが揺れないように崇琉の足を軽く蹴る。すると痛いよ、なんて言いつつも満面の笑み。  ああ、そんな風に笑わないでほしい。生意気なことばかり言ってしまうけれど、本当はアンタのことが好きで好きで堪らないんだから。 「Twitter教えただけだし」 「でも教えてくれたお陰でめちゃくちゃ仕事増えた」 「それはタケさんの努力だろ」  あの日、何とも間抜けな出会い方をした二人が互いの家を行き来するまでに仲良くなったきっかけは〝SNS〟だった。  崇琉は芸能業界では最早必要不可欠となったSNSをやっていなかった。 「Twitter教えて下さいよ。フォローしたいんで」  収録を終えた後、伊織は真っ先に崇琉にアカウントを聞きに行った。〝磯山崇琉〟で検索してもアカウントが出て来なかったので、別の名義でやっているとばかり思っていたのだ。 「あ、俺Twitterやってないんです」 「え」 「やってないっていうより、出来ないって言った方が正しいかな? 使い方がよく分からないというか」 「宣伝メインとかにして、あとは日常のこととか適当に呟けばいいんですよ」 「今はこの現場のことしか宣伝することないしなー……っていうかどうやって始めるんですかね? 阿部くんに教えてもらおうかな」  学生時代からTwitterを使っていた伊織からしたら崇琉の言動が宇宙人のように感じられた。太古の化石を発掘したような感動すら覚える。 「えーっとそしたらまずTwitterのサイト開いて……」  崇琉の携帯を借りてアカウントを作成する。個人情報やパスワードを入力してもらうのに崇琉に携帯を渡す時、指先同士が触れて不覚にもときめく。  声を聞いた瞬間から好きになってしまった。そして演技を見て更に好きの気持ちは増した。崇琉の仕事に向かう真摯さはもちろん、他の共演者への気配り。更にはスタッフや伊織のマネージャーである蝶野にまで物腰柔らかく、丁寧に接する姿にも好印象を持った。  どうにか繋がりを持ちたい。だがいきなりLINEを聞く勇気はなくてTwitterから攻めてみたのだ。それがまさかアカウント自体を作ることになるなんて。 「ねぇ、フォローって何?」 「気になるユーザーをフォローするとタイムラインに出てくるんです。あ、タイムラインって自分のページね」 「へぇ、そしたらまず阿部くんをフォローしよ」  慣れない手つきで崇琉が画面をタップすると伊織のフォロワーが一人増えた。プロフィール欄に書かれた「磯山崇琉 イエローウイングス所属の声優です」という簡素な自己紹介が彼らしい。  伊織の方からもフォローを返す。すると崇琉のアカウントはフォローとフォロワーが共に1。両方とも伊織であると思うとむず痒くて口元が緩んでしまった。 「ありがとうございます。とりあえずなんか呟けばいいのかな?」 「そうですね……でもよく考えてツイートしないと炎上したりするからそれだけは気をつけて」 「へぇ……SNSも気をつけないとダメってことですね」  ああだこうだと考えてやっとツイートしたかと思ったら「初めまして。よろしくお願いします」という提携文のようなツイート。伊織のタイムライン上に現れた瞬間、思わず吹き出してしまった。 「そんな笑わなくてもいいじゃないですか」 「だって、不慣れなのがめっちゃ伝わってくるから」 「誰だって最初は初めてでしょう? そうだ、これからも阿部くんに教えてもらえばいいんだ。もちろん、ただとは言わないから」 「そんな、これくらいで」 「今度俺の家でメシをご馳走しますよ。こう見えて結構料理出来るほうなんで。人を呼んで一緒にメシ食うの、好きなんですよね」  Twitterだけでも繋がれればいいと思っていたのにいきなり家に誘われるなんて。崇琉からしたら大した意味はないのかもしれないが、伊織の立場からすると一目惚れならぬ一聴き惚れした相手のパーソナルスペースにいきなり誘ってもらえるなんて夢みたいな話だ。 「じゃあ、来週レコーディングが早く終わる日にでも」 「あ、その日なら俺も一日フリーですよ。って言ってもフリーなことの方が多いんですけどね」  少し自嘲気味に笑う彼を見て悲しくなったが、伊織は確信していた。崇琉がこの乙女ゲームプロジェクトをきっかけに売れることを。これだけの声と演技力がある。あとは話題があれば確実に伸びるだろう。  伊織の読みは正しく、磯山崇琉の知名度は鰻登りで上がっていった。それに伴い二人の会話からは敬語がなくなって〝タケさん〟〝伊織〟と呼び合うようになるまで時間はかからなかった。
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