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●ヤミひかチャンネル
配信十五分前。
スマートフォンのカメラがわたしを見つめている。
このレンズがこれから、チャンネルフォロワー990人の目になるのだ。そう思うと、おのずと身がひきしまった。
室内の様子を確認する。
窓には分厚いカーテンがひかれ、壁には魔除けの六芒星。
青色のインテリアライトに照らされた室内は、まるで深い水底に沈んでいるかのようだ。
準備はOK。
あとは、相棒が来るのをを待つだけ……なのだけれど。
「……遅いわね、ひかり」
わたしがそうつぶやくのを待っていたかのように、インターホンが鳴った。
すぐに部屋を出る。
玄関ドアを開けると、マンションの廊下に朝日奈ひかりが立っていた。
薄手のサマーパーカーに短パン姿。フードを目深にかぶり、首にはヘッドホンをひっかけて、遅刻が気まずいのかモジモジしている。
「あ……ヤミちゃん。ごめん遅くなって。そこの交差点に変なのがおったけん、遠回りしてきたっちゃん」
「変なの?」
「ピンクの服ば着た、女の人。横断歩道の真ん中に、ぬぼーって立っとって……」
「そう……。おおかた、この世に未練を残した浮遊霊といったところでしょうね。でも心配いらないわ。聖なる六芒星に守護されたこの空間に、邪悪な霊が入ることはできないのだから」
「……うん。そうやったね。おじゃましまーす」
ひかりは安心したふうにフッと笑顔になると、スニーカーをパタパタ脱ぎ捨てて家にあがってきた。
勝手知ったる他人の家、というやつで、案内するまでもなくわたしの部屋に入ってゆく。
「十分後に配信開始だけど、大丈夫? 何か飲む?」
「ん、平気。ジュース買ってきたけん」
ひかりはリュックサックを部屋の隅におろすと、ペットボトルのコーラを取りだして、ごくごくと飲んだ。
六月の暑さの中、バス停から歩いてきたせいで、首には汗の玉が浮いている。
フードを脱いだひかりの髪は、染めてもいないのに真っ白だ。ショートカットのてっぺんで毛がぴょんぴょん逆立っているのに気づいて、わたしは苦笑いした。
「ひかり、髪めちゃくちゃ。ちょっとじっとして」
わたしが櫛を入れてあげると、ひかりがくすぐったそうに身をよじる。
「んん……。別によかよ適当で。ぼく、ヤミちゃんみたいにかわいくないけん」
「なに言ってるの。ひかりはきれいよ」
実際、ひかりは美少女だ。
パッと目を引く白い髪だけじゃなく、すっと通った鼻筋も長いまつげも、工芸品のように整っている。
特に印象的なのは目だ。
色素が薄く、まるでガラスのレンズか沢の水みたいに透きとおっている。
それでいて、口を開くとベタベタの博多弁が飛びだすときているから、なかなかギャップがすごい。
そうこうしているうちに、配信開始の時間がやってきた。
動画投稿サイト「UMOVE」のアプリを立ち上げ、ライブ配信を開始する。
ノートパソコンの配信画面に、わたしたちの姿が映し出された。
長い黒髪で顔を半分隠し、シックな黒系のワンピースを着たわたしの姿は、ひかりとは好対照だ。
「闇に魂を惹かれたフォロワーのみなさん……こんにちは。夜神ヤミです」
「朝日奈ひかりでーす」
わたしたちが口を開くと、画面上をコメントが流れだす。
親愛なるフォロワーたちが、闇の語り部たるわたしたちの降臨を歓迎しているのだ。
「『よじよん』さん、いらっしゃい。『忌鷲』さん、いつもありがとう。あっ初見さん。初見さん、どうぞゆっくりしていってくださいね」
コメントをさばきながら、同時接続者数をチェックする。
生視聴勢は……80人ほどか。フォロワー全体の一割にも満たないが、土曜の午後ならこんなものだろう。
プロの怪談師による語りならともかく、中学生の怪談でこれだけ人が呼べれば上出来と言える。
……そう、怪談。
わたしとひかりは、これから怪談の生配信を行うのだ。
「さて。今週も霊感UMOVER『ヤミひか』が、みなさんに怪奇と幻想の物語をお送りします。今回のテーマは『家で体験した怪談』。よければチャンネルフォローと『いいね』ボタン、よろしくお願いしますね。それでは……今こそ開きましょう。闇への扉を!」
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