見上げる君の背

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   木々の蕾が膨らみ始める、少し前。  溶け残った雪は心地よい日差しに照らされ、きらきらと輝きながら少しずつ形を消していく。  粛々とした式。  しんみりとした空気の中、思いを馳せて涙を流す者がいれば、笑っている者もいた。  門出を祝う拍手。終了を意味する涙。  それぞれの思いを乗せて、滞りなく終えた卒業式。  そこに、俺は何も思うところはなく。  感慨深く浸ってしまうのは、老朽化のために卒業式を目前に立ち入り禁止となってしまった、屋上への螺旋階段。  一番下の段に腰掛けて、ネクタイを緩めて思い出す。  ひとつ年下の、普段は俺より低いその背。  階段の前を歩くその時だけは見上げることになる彼女。  健気で、凛としていて、前向きに恋するその目は。  さらに上を歩く、俺の親友の背をずっと見つめていた。  それを、俺はいつも見ていた。 「先輩」  呼ばれた声に、少しためらってから顔を向ける。  目元を染めて、気丈につくるその笑顔を励ませるのも、今日で最後だ。 「終わっちゃいました」 「……そっか」 「でもね、後悔はしてないよ。伝えられてすっきりしました」 「……頑張ったな」  立ち上がり、手招きする。  老朽化で立ち入り禁止だけど、最後なので許してほしい。  俺は先に螺旋階段を上り始めると、彼女は後ろからついてくる。  最初で最後の、彼女の前。  せめて最後くらいは俺の背中を見上げてほしかった。  あいつの思い出ばっかりじゃ、なんだかムカつくから。  あーあ、と口をついて出そうになる。 「俺を好きになれば、あいつより大事にするのに。  絶対泣かせない。悲しませない。  彼女になれば、今まで以上にすっげぇ大事にする。  俺の全部をかけて幸せにする。だから——  ……今からでも、俺を好きになればいいのに」  ——なんて、振られて間もない彼女に言えるはずもなく。  すん、と鼻をすする音を歯痒く思いながら聞こえないふりをしていた。  悲しくても気丈に振る舞うのは、いつものことだったから。  すると、下から静かに引っ張られる感覚。  足を止めて振り返れば、彼女は俺のブレザーの裾を少しだけつかんでいて。  今度は(・・・)我慢することなく、鼻を赤くして俺を見上げる。 「先輩が卒業しちゃうの、さみしいです……」  ぽろぽろと溢れる涙。  何度も見てきた泣き顔。  あぁ、俺、頑張ったんだなぁと、無神経にも思ってしまった。  今だけは俺に向けられた涙。  それが嬉しくて、切なくて、鼻がツンとする。 「ありがとな」  いつもはしないけど、溢れる涙を指で拭ってやる。俺の両手に収まる小さな頰。  触れられるほど近くて、交わることなく遠い、彼女との距離。 「俺のために泣いてくれて、ありがと」  たぶん、今までで一番近づけた。  俺の背中を、ちゃんと見てくれていたということだから。  あいつよりそばにいたし、あいつより笑顔を見たし、あいつより泣き顔も見た。  素の彼女を見てきたのも、俺。  隣にいることが当たり前で、何かあった時には頼られることが当たり前で。  あいつ以上に必要とされてきたのは、俺だったんだよ。  気持ちにだけは、最後まで触れられなかったけれど。  俺、本当に頑張ったんだよ。 「卒業おめでとうって、言ってくれる?」  今まで頑張ったから。  もう、それだけで十分だから。  木々の蕾が膨らみ、花が咲き始める頃。  彼女も俺も、新しい1年が始まっていく。  (たが)う道に、俺と彼女が並ぶことはないのだとわかっているんだ。  だから、諦めさせて。  証書はないけれど、その言葉で前に進めるから。 「……卒業おめでとうございます、先輩」  片想いの辛さよりも、一緒に過ごせた淡く楽しかった螺旋階段の思い出と共に。  俺は今日、彼女への気持ちも卒業する。  泣き顔に微笑みをのせてくれた彼女の、その瞬間だけを記憶に残して。
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