素顔は…

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「しおらしいと言うか……おとなしい感じかなとは思ってたけど、全く違ってた」  二人の笑い声は窓を突き抜けて外にまで聞こえそうな勢いだ。 「今は素の私、オンオフしっかり使い分けないと息が詰まっちゃうでしょ! 安心した?」 「まぁ、何となく……いつもみたいな暗そうな感じじゃとても続かないし」 「でも生徒の前でこんな事言うのも初めてだからね。そもそもオフの時に教え子に会ったことなんてなかったし」  言いかけて彼女がコーヒーに口をつける。マグカップの縁に薄ら桜色の口紅が付いた。  何を話せばいいか、どんな表情をすればいいのか全く見当がつかなかった。そもそも身内以外の女性と二人きりでいることなんかほとんど経験がなかった。   二人の間にわずかな緊張した時間が流れた。 「この絵、奇麗だよね……」  いずみちゃんはいつの間にか、図書館で見ていたページを開いている。  白い馬にまたがる奇麗な女性が印象的で、それは今日初めてみる担任の素の姿みたいでいつまでも眺めていられた。  いずみちゃんは本をめくるたびに僕の知らない様々なことを教えてくれた。丁寧で時々自分の主観を織り混ぜながら、好みの絵のことを話してくれる。  それは自分が緊張して話しかけられないでいるのを察したみたいに一方的で、ただ頷いて説明を聞くだけでよかった。心地良い時間がコーヒーの香りと一緒に流れていく。 「今日はそろそろおしまい。遅くなったらそれこそ問題だからね」  不意に現実に呼び戻された気分になった。 「とりあえず図書館の本をまた貸しできないし、見たいならまた明日いらっしゃい。明日は日曜で休みだし、一日中家にいると思うから」  思いもしない言葉だった。いずみちゃんの発した言葉の意味を理解するのに時間がかかった。  それは紛れもなく明日もここへ遊びにきてもいいと言うことなのだろうか?   無意識に答えを選んでしまう自分がいた。 「意外と楽しかったし、明日時間があれば来ます」  喉の奥が熱くなる感触がした。緊張と期待の中、選んだ答えはどこにでも落ちていそうな間の抜けた答えだった。 「わかった。待ってるよ。あっ……部屋番号は608だから入り口のところで押してね」  優しい言葉の後、いずみちゃんはマンションの下まで見送ってくれた。それと同時に僕の中に存在したよこしまな思いは、はかなく散ってしまっていた。  家に帰り着く頃、空はすっかり夜の装いになってしまっていた。この数時間の出来事で頭の中が混乱していたのか、どこをどう帰って来たのかもはっきりと覚えていなかった。  ただ一つ覚えているのは誰も知らない担任の秘密に触れたようで、そのモヤモヤとした感覚が、体の中を渦を巻くように流れていた。
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