72人が本棚に入れています
本棚に追加
恵
「おつーー」
帰り道の途中、不意に声を掛けられた。自宅のある団地の前の階段で、声をかけてきたのは同級生の長友恵だった。小学校から一緒の彼女は同じ団地の隣の棟に住んでいる。
幼なじみというよりは姉弟みたいな感覚に近い、そして恵は決まって僕の姉役だ。
小さい頃泣き虫だった僕の手を引き、一緒に遊んでくれていたのが恵だった。何をするのもいつも恵が先で、その後を僕が着いていくことが多く自然とそうなったのだ。
「おつありーー」
いつものたわいもない挨拶を返す。
「恵はいつもの散歩?」
「まぁね。で、樹はどこに行ってたの?」
「図書館……」
「図書館? 珍しい。漫画以外も読んだりするだ」
恵が馬鹿にした様に笑っているのが何だか癪に触った。楽しかった気分を土足で踏みつけられた様で、少し腹がたつ。
「勉強なら私が教えてあげよっか?」
「馬鹿にすんなよな」
「姉として心配しただけよ」
完全に馬鹿にされてしまっている。多少腹が立つ事もあるが、妙な安心感もあったりするのが不思議だった。
「ちなみに俺はデートしてたの」
そもそもデートでも何でもなく、偶然担任と会っただけの話だが、馬鹿にされたのが悔しくてつい見栄を張ってしまった。
「嘘つくならもうちょっとマシな嘘つきなよ」
「嘘じゃねぇし、恵も一人で散歩なんかしないで彼氏ぐらい作ったらどうなんだよ」
「私はそんなのいらないし、必要ないから作らないだけ」
「と言う事でじゃあな」
恵の話を続けさせない様に自分の言葉で話を切った。
僕は勝ち誇ったかの様に笑うと、恵に背中を向け階段を上がって行った。
何段か上がった時に振り返ってみると、僕の気配に気付いたかの様に恵もこっちを向いていた。恵は挑発するように人差し指で下瞼を下げて見せる。
家に戻ると母親がいつものように、どこに遊びに行っていたのと尋ねてくる。当たり障りのない返事で、そのまま目を合わせる事もなく自分の部屋に戻った。
いつもの見慣れた自分の部屋が今は妙に稚拙に見える。物も多くお世辞にも奇麗ではない、年相応の男の部屋。
無性に部屋の模様替えがしたくなった。
いろいろな物を動かし不要なものは捨て、物が少ないシンプルな部屋にしてみた。
ただ、模様替えの最中に何度か家族から「うるさいそんなことは昼間にしろ」と文句を言われたがやめる気はなかった。
最初のコメントを投稿しよう!