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霧中
グラスをぶつけ合う音や、にぎやかな笑い声。
「こっち、ビール追加ねー!」
「はーい」
「おにーさん、オーダー!えっとねぇ」
受けた注文を胸で繰り返してから、厨房に怒鳴った。
「3卓、生中三つ。5卓、焼き鳥盛り合わせとシャキシャキサラダ」
「あいよ!」
威勢のいい返事とともに、厨房から叔父さんの顔がのぞく。
「航、今日はもういいぞ」
「いえ、ラストまでいます。すごい混んでるから、叔父さん大変でしょ」
「ここじゃ大将って呼べって」
すっかり「大将」が板についている叔父さんは、元商社マンと聞いてもピンとこない。
バリバリ仕事をしていたのに、奥さんの実家の居酒屋が傾きかけていると知ったとたんに、未練もなく転職を決めたそうだ。
高校卒業してからは、「居酒屋の手伝い」という身分で住まわせてもらっている。
「家族と同様に」と叔父さんは言ってくれるけど、そういうわけにはいかない。
食費分くらいは働かないと。
◇
賄いの昼ご飯を食べ終えた、ふたりのパートさんがお茶を淹れている。
「航ちゃんも、お饅頭食べない?」
「あとでいただきます。ありがとうございます」
「おなかいっぱい?」
「はい」
「ああ、そんなのこっちで洗うわよ」
「いえ、ついでなんで」
パートさんの食器も片付けながら、ぺこりと頭を下げた。
食器を洗う水音にまぎれて、パートさんたちの話し声が切れ切れに聞こえてくる。
子育てや、夫へのちょっとした愚痴。面白かったこと。休みの予定。
パートさんたちの笑顔からは、温かい家庭が透けて見えるようだ。
別にうらやましくはない。
だって、別世界のことだから。
「もう食べ終わったのか?」
商店会に呼ばれていた叔父さんが、戻ってきた。
「オレの分は自分でやるから、少し休め」
「大丈夫。若いから」
ふざけて笑ってみたけど、上手くいかなかったらしい。
微妙な顔をする叔父さんに、賄いが乗ったトレイを指さした。
「早く食べちゃって。今日の夜、二組も宴会が入ってるよ」
「わかった、わかった。……航」
顔を上げると、怖いくらい真剣な顔をした叔父さんと目が合う。
「あのこと、ちゃんと考えておいてくれよ」
な、と念押しをして、叔父さんは姿を消した。
洗い物が終わったら、個室の掃除をしよう。
それが終わったら、食材の在庫確認をして……。
耳にこびりついたあのことを忘れたくて、これからやる仕事のことだけを考えた。
「そろそろ、本当に進路を決めような」
今まで、何度か冗談交じりに言われてきたけれど、昨夜の叔父さんは目が本気だった。
だけど、叔父さん。
進む道なんか、わかんないよ。
ここにいちゃいけないの?
ここも、追い出されるの?
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