プロローグ 女医・蔵本和子

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「夫は再婚なのです。先の結婚で男の子が一人おり、彼に問題はありません」 「そうですか」  和子はちらりと患者の顔を覗き見た。  愛くるしい顔に、暗い影が差している。  テレビドラマでは、天然であっけらかんとした役柄が多かったが、重厚でシリアスな演技も案外いけるのではないかと、苦悩がありありと浮かんだ表情を見つめながら思った。  その意味でも、早すぎる引退が惜しまれた。自分の才能に見切りをつけての決断と、引退会見で語っていたが、実際は結婚が要因だったのかもしれない。  引退が二年半前で、先ほど結婚して二年経つと言っていたから、時期的にも符号する。  女優の仕事と引き換えに選んだ結婚生活で、子供ができないというやり切れない現実は、彼女にとって相当に辛い状況に違いない。 「当院では不妊に悩む多くの方々が、妊娠・出産という結果にたどり着いています。今は不安なお気持ちでしょうが、正しい手順を踏んでいけば、良い結果が得られる可能性が高いのです」  勇気づけるように笑顔でいう。  和子の言葉に、患者はこわばった顔のまま微かに頷いた。 「治療の流れですが、まず基本検査をします。項目が多く、一度にはできませんので、月経周期に合わせて一ヶ月ほどかけて進めます。そこで異常が見つからなければ、まずは排卵誘発剤を併用する方法を用いて、それから次に……」  和子は懇切丁寧に治療方針を説明した。
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