プロローグ 女医・蔵本和子

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 過度な期待を抱かせるのは禁物だが、必要以上の重荷を抱えて苦しんでいる患者には、希望の光を前方にほんのり灯してあげることも医者の役割である。  初診時はだれでも不安と緊張に包まれるものだ。    この日は超音波エコー検査と血液検査を行い、初診は終了となった。 「まずは検査の結果を待って、その後の対応を検討していきましょう」 「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」  帰り際に和子に向かって一礼した患者の顔には、かつてテレビでよく見かけたえくぼが特徴的な人懐っこい笑顔が浮かんでいた。  和子はその後ろ姿を見送りながら、彼女が出演していた朝ドラの一場面を思い出していた。  主人公の友人役で、落ち込むヒロインを常に明るく励ます役回りだった。  和子はなぜか、ヒロインよりも友人役の彼女に惹かれた。  ファンになった。  民放ドラマの脇役でも一時期活躍したが、ある日を境に、ふっつりとテレビ画面から姿を消した。主役級の俳優ではなかったため、引退会見はほとんど報道されることはなかった。テレビのワイドショーはその日の話題を包括的に取り上げるコーナーで他のニュースとともに短く伝え、スポーツ紙なども囲み記事で小さく紹介する程度だった。  それでも和子はもったいないと心の底から思った。  当時まだ二十八歳だったはずだ。  あのまま辛抱強く続けていれば、いつの日か才能が開花し、押しも押されもせぬ一流の演技派女優に変貌を遂げていたのではないか。  それだけの素養を彼女は充分に備えていた。 今日、診察室での不安と苦悩に満ちた陰影のある表情を見て、改めてそう思うのだった。
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