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初めて話しかけられたとき、(夏休みが始まる前)彼女はノートを持っていた。
僕と接触する前だ。
『あのね、やりたいことがあるの』
彼女は僕にそう言った。そして、「やりたいこと」が書かれたノートの文面を見せてくれた。そんな風に僕たちの関係は突然、始まったのだ。
(彼女がすでに、僕のものだったノートを所持していたとでもいうのだろうか?)
僕があとで、ノートに記名するなどあり得ない。そもそもそんな覚えもない。
じゃあ、なんで――
頭の奥が痺れるように、強く痛み始めていた。僕はノートを持ったまま、ここではない現実のはざまに呑みこまれていた。
***
気がついたら、水門川の橋の上に立っていた。さっきまで僕がいた場所だ。そのはずなのに。
春のやわらかな空気は、跡形もなく消えていた。季節は冬の終わりだった。何もかも凍てつく夜の底。冷たい風が吹き抜けて、足先や指の感覚はとうになくなってしまっていた。
夢とは思えない光景だった。はるか先を見つめると、闇に染まった川面がどこまでも暗く沈んでいて、心の内側に広がる果てしない虚無のようだった。僕はそんな夜の淵で、自分を終わらせる予定だった。それはもう触れられるほど、近くにある現実だった。橋から飛びこむイメージが脳裏の奥に焼きついて、妙なリアリティをもって目前まで迫ってくる。
僕は、ひとりきりだった。
ひとりきり。いつもと同じように。
でもなぜか、胸のなかに温かな光の余韻があって、どうしてなのか分からなかった。消えるわけにはいかないと、そう誓った気がしていた。その理由を思いだせない。
(僕は世界の誰からも、必要とされていないのに)
一体僕は――何を、守りたいと思ったのだろう。
『気のせいだよ』
どこかの僕が嘲笑う。
『君は今までもひとりだったし、これからもずっとひとりなんだ。だから終わりにしようって、そう決めていただろう? 世界が暖かく芽吹く前に、そっと消えてしまおうって』
(――そう。そうだ、その通り)
次第に、とても静かな諦念に包まれ始めていた。この感覚は知っていた。本当に嫌になるくらい、知っている自分自身だった。ゲームをリセットする時間は、今刻々と近づいていた。
(やっと、すべてを終わりにできる)
僕は誰に合図されるでもなく、橋の欄干を乗り越えた。
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