君が覚えていなくても

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 でも、一度も話したことのないクラスメイトに惹かれるなんて、あり得るだろうか。僕のなかで彼女の姿を目の端で追っていた記憶があった。「光琉」と呼んだのを覚えていた。彼女が消えてしまったときに感じた深い絶望も。どこからが現実で、どこからが夢か分からなくなっていくほど、僕にとってそれはリアルな感情を引き起こした。  僕はその日めずらしく、朝からちゃんと学校に行った。でも、教室には行かない。向かうのはいつも図書室だ。本で埋められた空間に、ひとりでいるのが好きだった。本棚に整然と並べられた蔵書のひとつひとつを眺める。  ――と、僕はそのなかの一冊の本に目をとめた。  アルチュール・ランボー。有名な詩人だ。なぜか頭の奥に、水平線に沈んでいく夕陽の切ない色が浮かんで、 (『永遠』っていう詩があったな)  それしか知らないはずなのに。 『その人がね、アルファベットと色を結びつけた詩を書いてるの。Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青、というふうに』  どこかでそう言う声がして。  それは確かに載っていた。『母音』という名前の詩だ。  僕は何かの拍子に、彼女との会話を思いだすことがよくあった。それは、現実では話したことのない『片桐光琉』の声だった。夢のなかで僕は、彼女と言葉を交わしていて、時が経つごとに細部を思いだせるのが不思議だった。  僕はその夢のなかで、《深い青色》と言われていた。詩の文面を見ていると、色んな風景が思い浮かんで。そのたびに胸を締めつけられる。午後の光がやわらかく図書室のなかを照らしていた。そんな静謐のなかにいると、なんだか少し泣きたくなった。 (やっぱり今も僕は、どこかで消えたいと思っている)  その願望はあまりにも深いところに根ざしていて、長い時間をかけて僕を形成したものだから、簡単に変えることはできない。
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