君が覚えていなくても

8/24
前へ
/92ページ
次へ
 揺れる日差し。彼女の声。僕は――彼女にかける言葉を心の内で探していた。彼女が特別になった理由を探しあてたいと思っていた。  たとえ夢でしかないのだとしても。君が覚えていなくても、僕にとっては大切で。もうずっとこれからも好きでい続ける予感がした。彼女が遠く離れた場所で、幸せでいてくれるなら同じように生きていけると、こだわりもなくそう思えた。抱えた気持ちを恋と呼ぶには、あまりにも不確かで透明で、もう切り離せなかった。  夢のなかで僕は《深い青色》で、彼女は遠い《光》だった。その光が僕にあたって、反射した波長が色になって、感情さえも可視化する。僕は、さみしさを隠せなかった君に焦がれている『僕』と、隣りあわせで生きるのだろう。見知った絶望はときどき、心の底から顔を出す。それでもいつかの『僕』は彼女の言葉を信じていて、その祈りにも似た声を、ずっと覚えているのだろう。 ***  桜が散り始める頃、新しい学校にも私は馴染み始めていた。転校が春先だったから、溶け込むのも早かった。これが学期の途中だと、できるだけ早く入りこめそうな場所や、仲良くなれそうな子を探さなければいけない。けれど、クラス替えした教室はみんな同じ状態で、いつもよりたくさん隙間があって、ちょっと挨拶するだけで新しい友達を作れたのだ。何より嬉しかったのは、両親が「卒業するまで引っ越しはしない」と約束してくれたことだった。いつ転校するのか危惧しなくていいだけで、だいぶ気が楽になる。  美術部というのは、どの学校にもたいてい存在するものだ。私はそこで、描きかけの絵に取り組むことにした。水門大橋からの風景。よっぽど気になっていたのか、夢のなかで私は水彩画を描き終えていて、蒼くんに渡していた。夢はいつまでも消えなくて、それは不思議なことだった。普通、夢は時が経つと忘れてしまうものだから。  ――あのとき、事故に遭う直前。  蒼くんは、私を呼んだ。  あの一声がなければ、私は立ちどまらなかった。そのことを繰り返し思いだす。  
/92ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加