君が覚えていなくても

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 沙紀から電話があったのは、そんな春の夕方だった。 「新しい学校には慣れた?」  そんな会話から始まって。 「そういえば、御幡くんさ」 「――え?」  名前を聞いて、息がつまった。 「ほら、自殺未遂した御幡くん」 「自殺――未遂……?」  私のなかで、彼は。 「あれ、覚えてない? けっこう有名な話だけど」 「えっと、確か橋の上から……」  そうそう、と沙紀は引きついだ。 「そこから飛び降りて、九死に一生っていうの? 相当ヤバかったらしいけど」 「そう……なの?」  不確かな記憶が沙紀の言葉で、徐々に塗りかえられていく。 「そういえば光琉は知らないかな。数カ月ずっと入院してて。本当によく助かったよ」  そんな言葉はなんだか、遠くから聞こえてくるようで。  私の知らない現実が混ざりこんでいるようで。 「見つけてもらえてなかったら、凍死しててもおかしくないよね」  冗談みたいに笑うから、信じられない気持ちだった。 「私――蒼くんは、自殺したんだと思ってた……」 もう、この世界のどこを探してもいないんだって。  でも心のどこかでは、まだ生きているんじゃないかって、そう信じてる自分もいて。 沙紀は屈託なく言った。 「自殺しようとしたのはそうでしょ。あ、ごめん、これ一番に伝えなきゃいけないことだったかも」  ううん、とスマホごしに首を振る。  生きていたんだ。  生きて、いてくれたんだ。  そう思うと、温かな水が湧きあがるような心地がした。 「彼は、もう学校にいるの?」 「最近かな、やっと退院できたみたい。でもクラスでは見かけないな。不登校ってやつじゃない? 御幡くんらしいけど。たまに図書室で見かけるよ」 「そっか」 「その、御幡くんがね」  沙紀は嬉しそうに続ける。 「一回お見舞いに行ったんだけど、光琉が交通事故に遭うのを夢で見たみたいで、大丈夫か気にしてた」  交通事故。心臓の鼓動が速くなる。  あのとき一瞬交わした視線は、夢なんかじゃなかったのだ。
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