暴走老人

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暴走老人

 狭い取調室の中、刑事の向かいに座らされた老人は、そわそわと落ち着きのない様子で口を開く。 「いや、さっきも他のお巡りさんに言ったんですよ。操作を間違えちゃったって」 「間違えた?」 「そう。後ろのシートの荷物を取ろうとしていたんですよ。そうしたらブレーキから足が離れたんですかね。気がつけば車が動き出していたんですよ。慌ててもう一度ブレーキを踏んだつもりだったんだけど、逆に猛スピードで走り出したものだからもうパニックになっちゃって。そのときは間違えてアクセル踏んでるなんて思ってもいなかったから。我に返ったときにはスーパーに突っ込んでいた、という次第でして……」  悔いるようにうな垂れた老人に、刑事は訝しむような眼差しを向ける。 「間違えたねぇ……」 「ええ」 「本当に?」  老人は慌てた様子で顔を上げると、 「も、もちろん本当です。まさか、私がわざと突っ込んだとでも?」 「いやいや、そうは言ってません。ただね……」  手元の資料の束をゆっくりとめくる刑事に、老人は痺れを切らせた。 「ただ、なんです?」 「事故の目撃証言の中で、いくつかひっかかるものがあるんですよね」 「どんな証言ですか?」 「あなたの運転する車が、どこからともなく突然現われたって。なにもなかった場所に」  老人の視線が泳ぐ。それを刑事が見逃すはずもなかった。 「どうしました?」 「いや。別に。そんなこと、ありえないだろうと思っただけです」 「そうですか?でも、他にも同じようなことを言う人がいたんですよ。一人だけなら見間違いや勘違いってこともありますけど、複数人となるとねぇ……。これ、どういうことでしょう?」 「どうと言われても……」  困惑する老人を睨むうち、刑事は違和感を覚えた。被疑者の存在感が急に薄らいだように思えたからだ。たまらず眉間を指で押さえ、それから目を凝らす。やはり感覚的なものではなく、その輪郭がぼやけて見える。  そのときノックの音が聞こえた。刑事は首をかしげながら戸口に向かう。ドアを開けると制服警官が立っていた。小声で何かを告げると、敬礼をして立ち去った。  席に戻った刑事は大きなため息をつきながら老人を見る。 「今、報告が入りました。あなたが車で撥ねた主婦とその子ども。今しがた病院で息を引き取ったそうです」 「亡くなった?」  老人は動揺を隠せない様子だ。その姿は先ほどよりもまして影が薄くなっていた。俯きながら彼はポツリポツリと語りだす。 「最初はごまかし通せると思ったんですけどね。この時代に、老人の暴走事故が多発しているという記録は目にしていましたから。それを装えばなんとかなると。でも、あの子が亡くなってしまったのなら、もうどうでもいいことです」 「何の話だ?あの子ってのは、被害者のことか?」 「そうです。コバヤシ、ノブアキ君ですよね?」  刑事は手元の資料を慌ててめくり、目を丸めた。 「おい。どうしてその名前を知ってる?顔見知りか?」 「知ってはいますが、会ったことはありませんでした」  そこで老人はすいと視線をあげた。 「実は私、未来から来たんですよ。その頃には昔流行した映画のような、車型のタイムマシンが開発されていましてね。市販もされているんです。それでここに来ました。冥土の土産に、ご先祖様がどんな暮らしをしていたのか、見てみたくて。ただ、少しばかり時間設定を間違えたようです。予定では何もない更地に到着するはずだったんですよ。でも、そこにはスーパーが建っていた。だから、突っ込んじゃったんですよね。ある意味、これも車の操作ミスってことにはなりませんか?」  自虐の笑みをこぼした老人を前に、刑事はふざけるなと言って事務机を叩いた。 「わけのわからんことばかり言いやがって。痴呆老人でも装うつもりか?」 「違いますよ。最後に本当のことを話しおきたいだけです」 「最後?」 「ええ。タイムトラベルにはいくつかルールがありましてね。その中で最も重要なのは、過去を変えてはいけないということなんです。私は死ぬはずのないあの子を死なせてしまった。つまりは過去を変えてしまったのです。だから、私には厳罰が与えられるのです」  話をする間にも老人の姿はどんどん薄くなり、後ろの壁が透き通るほどになっていた。  唖然としながらも、刑事がかろうじて「厳罰?」と問い返すと、 「死刑ですよ。だが今となってはもうそんなことは関係なくなりました。だって、私がひき殺した子どもは私の曽祖父……」  そう語る途中で、老人の姿は見えなくなった。まるで煙が風に流され掻き消えるように。  狭い取調室の中、一人残された刑事は、そわそわと落ち着きなくポケットから煙草を取り出した。震える手で火を点けた彼の頭の中では、あの映画の音楽が渦巻いていた。
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