うだつ

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 「おい、そこのうだつが上がらない男。」  頼りない光を放つ街頭が照らす夜道に、声が響く。電信柱にもたれかかり、腕を組んで通りかかりの男に声をかけたのは、紛れもない悪魔であった。  「・・・いやちょっと、素通りしないでよ。」  まるで何事もなかったかのように、男は悪魔を素通りしようとした。  確かに悪魔と言ってもこの時の見た目は二十代後半のそこそこ背の高いシュッとした青年であり、声をかけられた時点で男はとても悪魔が声をかけてきたとは思っていないだろう。しかし、閑静な住宅街で突然声をかけられれば多少の動揺があってもおかしくない所、男は本当に声が聞こえていないかのような態度でその場を通り過ぎようとした。  「え、僕ですか?」  振り返った男は、演技だとするなら表彰ものの驚いた表情を見せた。  「ここにお前以外誰がいる。」  「失礼、余りに自己評価とかけ離れた人物像を描いていらっしゃったもので。」  余裕の笑みを浮かべ、無駄に丁寧な口調で話す男へ苛立ちを覚えた悪魔は、遠慮なく自分の目に映る男の見た目へ言及する。  「だらしなく伸びた襟足が目に付くぼさぼさ頭、くたびれたパーカー、鼻あての壊れた眼鏡に極端なまでの猫背・・・今のお前を見ればみな、うだつが上がらない男だという評価をするだろうよ。そして俺は、そんなお前にとびきりいいニュースを持ってきた。」  「いいニュース?」  男は笑みこそ無くなっていたが、相変わらず動揺する素振りも見せず、悪魔の自分に対する批評に反論することもなく、話を展開させようとする悪魔に大人しく従う。  「単刀直入に言おう。俺は悪魔で、お前に契約の話を持ってきた。その契約とはずばり、お前の寿命十年を犠牲にする代わりに、好きな願いを何でも叶えてやるというものだ。どうだ、この契約に乗るか?」  「あ、結構です。」  丁重に断りこの場を去ろうとする男を、悪魔は再び引き止める。  「ちょ、ちょっと待てって。」  「十分待ちました。あなたのお話もしっかり聞きました。その上であなたとは契約しません。以上。」  再び悪魔に背を向けようとする男を、悪魔は背中を預けていた電信柱から離れ力ずくで止めようとする。  「だから、待てって。」  「い、痛いなー、手首掴まないで下さいよ。」  「離したらどっか行こうとするだろう。」  「当たり前でしょ、話はもう終わったんだから。」  「あれか、もしかして悪魔って信じてないのか。だったら、今ここで翼出すから、マジで。」  「出さなくていいですよ、もう!」  手首を掴まれていた右腕に力を込めて、悪魔の手を振り払う男。  「僕はあなたが悪魔だって信じてますよ。その上で契約の話を聞いて、締結させる意思がないだけです。」  「なんで?」  素朴な疑問を父に尋ねる少年のような顔をする悪魔に、男は思わず笑いそうになってしまったが、なんとか笑いを堪える。なぜわざわざ堪えたのか、その理由は男にもわからなかった。  「なんでって、単純に必要ないと思ったからですよ。」  「必要ない訳ないだろ・・・そんな見た目から察するにお前は、運動も勉強もまるでダメ、学生時代はいじめられっ子、彼女もいなけりゃ友達もいない生粋の童貞ボッチ、饒舌になるのはネットの中だけで、毎日芸能人のネットニュースに悪口書き込むのが唯一の楽しみ・・・みたいなフリーターだろ?」  悪魔の止まらない偏見に、今度こそ男は笑いを堪えることが出来なかった。だが悪魔はそんな男を気にも留めず、話を続ける。  「今までお前を馬鹿にしてきた連中を、見返してやりたいとは思わないのか?俺と契約をして悪魔の力を手に入れ、復讐劇の幕を上げようじゃねえか!」  興奮状態の悪魔とは対照的に、至って冷静な男はひと息ついた後、反論を開始する。  「そもそもですけど、僕はあなたが思うような人間じゃありません。」  「俺が思うような人間じゃないって?」  「だから、学生時代にいじめられてもいないですし、童貞でもなければフリーターでもありません。まあ、運動が苦手っていうのだけはあってますけど。」  「噓だ、お前みたいな二十歳過ぎても母親に服を買ってもらっていそうな人間が童貞じゃない訳がない。だってほら、魔界で支給された人間取扱説明書にも書いてあるし。」  慌ててポケットから文庫本サイズの冊子を取り出すと、悪魔はとあるページを男に見せつける。確かにそこには、これまでに悪魔が並べたような偏見が数多く散見された。  「こんな取説、ネットに流れたら炎上するぞ・・・って言っても、人間のコンプライアンスとかハラスメントを悪魔に押し付けるのも違うか。」  その呟きに悪魔は耳を傾けることなく、興奮状態のままさらに男を追求する。  「もしお前がこの取説通りじゃないというなら、その証拠を見せろよ。」  「証拠ね・・・ったく、こっちは簡単に悪魔だって信じてやったのに、どうして信用してくれないかね。」  男は気だるそうにスマートフォンを取り出し軽く操作した後、ある画面を悪魔に見せつける。  「ほら、このHPの、CEOって書いてあるとこあるじゃないですか。これ、僕です。」  「CEOって・・・つまりは、一番偉い」  「まあ、企業によって色々違ったりはするんですけど、ここは僕が大学生の時に立ち上げたんで、とりあえず僕が一番偉いって思ってもらって差し支えないです。」  悪魔の理解が追いつく前に、男は平静を装いつつも隠し切れない自慢を乗せて自己を紹介していく。  「因みに代表やってるのはここだけじゃなくて、系列企業とか諸々入れると十社以上のトップです。」  「じゅ、十社以上・・・」  「年収で言ったら・・・なんかいやらしくなるんで数字は言わないですけど、まあ世界的に超有名なプロボクサーのファイトマネーくらいは一年で稼いでますね、はい。」  「て、てことは数十億から、数百億・・・⁉」  「あ、わかっちゃいます?これじゃ、数字隠した意味ないなあ。」  誰もが殺意を抱くであろう趣味の悪い笑いを男は浮かべるが、悪魔はそこに感情を抱く余裕すら失っていた。目の前にいる人間の見た目と中身のギャップに、ただただ呆然とするしかなかったのだ。  「ということで、その悪魔の契約とやらは、僕には必要ありません。叶えたいことなんて、もうほとんど叶え」  「・・・どうしてだ?」  「え?」  「どうしてあんたみたい人間が、そうやって水ぼらしい見た目をひけらかす?金なら幾らでもあるんだろ、だったら専属のスタイリストでも雇って、アホみたいに高いスーツで着飾ればいいじゃないか!」  半ば僻みにすら聞こえる悪魔の叫びに、男は緩んだ表情を引き締め、その疑問に答えた。  「とある有名企業のトップは、毎日同じ服を着ていたそうです。採寸をして、同じブランドの同じ色のトレーナー、ジーンズ、スニーカーを何着、何足と用意する程のこだわりようです。なぜこんなことをしたのかと言えば、一日という限られた時間の中で、選択という脳に負担の掛かる行為を可能な限り減らしたい。それで服装を選ぶという選択を無くすために、毎日同じ服を着て同じ靴を履くことに相当なこだわりを持っていたようです。」  「つまりあんたも、同じ理由で適当な身なりで済ませているのか?」  悪魔の問いに、男は少し照れたように笑う。この笑みは先程の悪趣味なものではなく、爽やかさすら感じてしまうようなものであった。  「残念ながら、僕はこの方と同じ考えではありません。考え方そのものには共感出来る部分も多々ありますが、実際私は毎日違う服を着ていますし、ブランドや色に対するこだわりもありません。ただ、この方と僕で共通しているのは、ただ服や自らの見た目に興味がないのではなく、自分にとってプラスになると考えていることを実行に移しているということです。」  「・・・だから結局、あんたは何でどこぞのフリーターみたいなだらしない見た目をしているんだよ?」  結論を先延ばしにしてだらだらと長話を続ける男に付き合ううちに、悪魔は興奮を抑えることに成功していた。その上で、純粋に男に対して興味を抱いていた。  「僕はごくごく平凡な、貧しくも金持ちでもない家に生まれ育ちました。激しく𠮟ることもせず、基本的に僕の意思を尊重してくれた両親がただ一つ口酸っぱく言ったのが、人間は見た目が全て、という言葉でした。これはイケメンだの美人だの不細工などという話ではありません。きっちり時と場合をわきまえた服装、不快感を与えないための清潔感、そしてこれらを総合して、相手から自分がどう思われるかという第三者目線を養い、服装や見た目への投資を惜しまず、自分の望む印象を手に入れる能力を身につけて欲しい。逆に言えば、これらの能力を持っていない人間は、どうせ中身もたいしたことはないから気にする必要はないという考えから至るものでした。私はこの考え方に強く共感し、今でも自分の信念の一つとしています。」  「・・・大層な信念を持ってる割には、随分自分の身なりを疎かにしているじゃねえかよ。」  そんな悪魔の指摘を待っていたかのように、男はさらに興に乗って話を続ける。  「そうなんです。私は今、一見すると両親の教えに背くような行動を取っています。しかし、私が望む私の印象を獲得していることは、奇しくもあなたがさっき証明してくれている訳です・・・因みに、あなたは私に声をかけた時、私に対してどんな印象を抱いていましたか?」  「どんなって・・・運動も勉強もまるでダメ、学生時代はいじめられっ子、彼女もいなけりゃ友達もいない生粋の童貞ボッチ、饒舌になるのはネットの中だけで、毎日芸能人のネットニュースに悪口書き込むのが唯一の楽しみなフリーターだけど。」  「・・・ここまで悪く言われるのは想定は、正直していませんでした。」  男は苦笑いを浮かべつつも、すぐに気を取り直して話を続ける。  「簡潔に言えば、あなたは私のことを瞬時に下に見た訳です。これこそが私の望む評価なのですよ。」  「つまりあんたは常に人から虐げられたい、とんでもないMの性癖の持ち主ってことか?」  全く見当外れなその予想に、男は大きなため息をつく。  「違いますよ・・・いいですか、ビジネスという戦いは殴り合いの喧嘩ではありません。実際の喧嘩であれば、最初油断した状態で戦い始めてたとしても負けるまでに、つまり倒されるまでに相手の技量が分かれば、途中からでも本気を出せます。しかしビジネスにおける戦いでは、喧嘩のように肉体的なダメージはありませんから、最悪の場合負けていることにすら気が付かず、半永久的に搾取される場合がある。つまり、第一印象で相手を下に見れば、そのまま相手の技量を正確に図ることが出来ず、本当の力を出し切れないまま負けてしまうことがあるのです。」  「そうか、あんたは見た目で相手を油断させて、その隙に付け込もうって腹か。」  ようやく自分の意図をくみ取った悪魔に対して、男は満足そうに頷く。  「勉強しないで掴んだ59点よりも、百時間勉強して手に入れた60点の方が立派なことは、誰もがわかっていることなはずなのに忘れられがちです。僕は勝つことにしか興味がなく、その過程には興味がありません。例えどれだけ醜くとも、どれだけ効率が悪くとも、勝つための道のりであるなら喜んで歩みを進めます。もっとも、最近は私の名前も売れ始め、見た目だけで油断してくれる人も減ってきましたが。」  思い出したかのようにあの悪趣味な笑みで話を締めた男だったが、ふと悪魔に顔をやると、こちらを見ずに天を仰いでいた。  「へへ、今回もまたダメだったか・・・やっぱり俺には才能がないのかな。」  悪魔が見せたその哀愁を、男は見逃さなかった。  「どうしたんですか?まるでノルマを達成出来ない営業マンのような顔をして。」  男の指摘に、悪魔は自嘲気味に答えた。  「流石は敏腕社長様だ。的確な例えをしやがる。」  半分皮肉を込めた前置きの後、悪魔は自分の置かれている立場を説明し始めた。  「俺たち悪魔も、別に道楽で人間と契約したい訳じゃない。あんたら人間が生きていくため寝たり食べたり金を稼ぐように、俺たちも生きていくために人間と契約する必要がある。」  「じゃあ、例えでも何でもなく、あなたは本物の営業マンじゃないですか。」  「人間界の仕事に当てはめるなら、そういうことになるな・・・だが人間と直接コンタクトと取るこの仕事は、悪魔の中でも落ちこぼれの烙印を押された連中がやる、いわば汚れ仕事だ。人間などという下級生物と話すなんて、想像しただけで虫唾が走るって悪魔がほとんどだからな。」  「急に人間を見下して悪魔感を演出するのやめてくださいよ。」  この指摘にも、やはり悪魔は耳を貸さない。この態度が、悪魔が人間を見下しているという話に説得力を持たせていた。  「昔から勉強も運動も苦手で笑い者にされていた俺は、すぐにこの仕事をあてがわれた。上司からは適当に弱ってる人間見つけて、話を持ち掛ければ大抵は簡単に契約が取れるって言われたけど、俺はまずその弱ってる人間を見つけられない。この取説に従ってやってるつもりが、誰も俺と契約しようとしない・・・こんな仕事すらこなせない俺は、もう悪魔失格だ・・・」  うなだれる悪魔を見ながら、顎に手を当てて数秒考えた後、男はある提案を持ちかけた。  「あなた、僕と契約しませんか?」  その提案を、悪魔は鼻で笑い一蹴する。  「ふん、同情のつもりか?言っておくが、俺がどんなダメ悪魔でも、誇りやプライドまでは失ったつもりはない。お前らみたいな下等生物に同情される覚えはないね。」  最後の意地で強がって見せる悪魔に、男はもう一度ちゃんと自分の意図を説明する。  「いえ、僕があなたと契約するのではなく、あなたが僕と契約するんですよ。」  「・・・どういう意味だ?」   「さっきも言いましたが、僕はあなたの言う悪魔の契約とやらに興味はありません。十年という時間は、人間にとっては貴重な時間ですから。ですから、あなたが用意した契約に僕が乗るでのはなく、僕が用意した契約にあなたが乗るんですよ。」  「それってつまり、俺があんたの下につくってことかよ。そんなのごめんだぜ。」  簡単には首を縦に振りそうにない悪魔を、男はなんとかして説得しようとした。  「人間を下に見ている悪魔からすると、この話は屈辱かもしれませんが、僕はあなたを配下に加えたいとか、そういうつもりで話をしている訳ではありません。あなたは私と契約することで営業マンとしての腕を磨き、仕事の成績をあげる。悪魔の世界が完全な実力主義なのかは存じませんが、そうしてメキメキと頭角を現すことであなたはこの仕事から解放され、今まであなたのことを馬鹿にしてきた連中を見返す。それを実現したいだけです。」  「確かにあんたが俺に人間界での仕事のやり方を教えてくれれば、営業成績は伸びるかもしれない。そこに異論はないが、でもあんたは何のためにそんなことをする?メリットはなんだ?まさか、俺に恩を売って寿命を減らさずに悪魔の力を手に入れようって魂胆か?」  「メリット、ですか・・・」  数秒の沈黙の後、男は迷いなく真っ直ぐ悪魔を見て言葉を発した。  「悪魔とお近づきになれる。これだけで私はあなたに協力する十分な動機になるとは思いませんか?」  男のその顔を見て、悪魔は不敵な笑みを浮かべると同時に、男の制止も無視して大きく翼を広げた。       
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