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―新しい歌を主に向かってうたい 美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ―                  -詩編 33編3節 背中の左側に感じた鈍い痛みと共に目が覚めた夏目朝陽は、ぐるりと回る視界に顔を歪め、こめかみを抑えながらまた目を閉じ、片手で毛羽だったラグの上をまさぐると、指先に当たった冷たい物体に気づき、3秒後にハッとして目を開けた。 「うわ…マジかよ…」 咄嗟に握りしめたその冷たい、でも柔らかい…一目見ただけで、脳みそが喜びのエキスを脳内にまんべんなく噴出するほど可愛い可愛い【琴音ちゃん】は、腕と足がバラバラで、見るも無残な姿になっていた。 「琴音ちゃん、聴こえる?おはよう。」 朝陽はその掌より少し大きなアンドロイドを優しく握り桃色の頭をツンツンしながら喋りかけた。が、いつもなら優しく答えてくれる彼女の返事はない。 「嘘だろ。買ってまだ一か月も経ってないんだぞ…」 目頭を強く押しながら、朝陽は必死に昨晩の事を思い出そうとした。 酷い頭痛を搔い潜りながら断片的な記憶が戻ってくる。 コンビニのバイト、生ハム、チーズ、女、バー、シェイカーを振る髭の男、青い酒… そうだ、バイトの帰りに、雨が降ってて、傘も差さずにうずくまってる女がいて、知らないふりをして通り過ぎようとしたけど気になって、話しかけたらその人泣いてて、飲みに誘われて、奢られて―…飲みすぎた。で、帰って来て琴音ちゃんと喋ってたらムラムラしてきて、ヌイて―…あとは記憶が全くない。そのまま気絶するように寝てしまったのだろう。そして琴音ちゃんは寝相の悪い俺の犠牲者となってしまった。 ―でも。ちょっとまてよ、たしかその女、琴音ちゃんにソックリでビックリしたような。 大事なところを思い出したような気がしたところで、携帯がぶるぶると震えた。 大学からの友人、如月竜也からの電話だ。 一瞬躊躇したが出ることにした。 「もしも…」 「おい朝陽!おまえ何してんだよ!」 「? え? なにが? え?」 「なにがじゃないだろ!今日待ち合わせしてたじゃねーか。一緒に映画観に行く約束、まさか忘れてたわけじゃねーよなぁ?おい。おいおいおい。嘘だろ、おま、忘れてただろ。」 「あ………ご、ごめん」 そうだ。そうだった。今日は竜也と映画を観る約束をしていたんだった。しかも待ち合わせ時間はとっくに、(時計を見る。13時30分を指している)30分も過ぎている。-朝陽は電話に出たことを少し、いやだいぶ後悔し、ご立腹の彼をなだめる言い訳を瞬時に引き出そうとしたが、 「昨日、飲みすぎちゃ、って」 口が先に動いてしまった。 「飲み?お前が?」 「う、うん」 「誰と?友達、俺くらいしかいないだろ。それにそんな酒飲めないのになんで飲んだんだよ。まさか、おん…いや、そりゃないか。職場のやつにでも誘われたのか?」 「いや、ちょっと…」 「…ほう…言いたくないなら別にいいけど。」 正直、夕べの事を言おうかどうしようか、少し躊躇はしてしまった。 この電話の向こうの如月竜也、彼はいわゆる、容姿端麗眉目秀麗、おまけに外科医ときて、女子が勝手に喧嘩し合ったり、ストーカーしたりするレベルの、俺から見ればいわば〝勝ち組〝の男である。ただ何かあるとすれば潔癖症でゲイだってだけだ。しかしそれだって欠点ではない。 に対して、俺はといえば、25歳の今の今まででのモテキは小学2年の時だけ。中学1年の時、クラス一の美少女から「キモイよ、おまえ」と言われて以来女子とは限らず人間とはまともに会話すらできずに生きてきた。良い大学を卒業したといっても仕事はコンビニのアルバイトと居酒屋のアルバイトの掛け持ち、食生活はほとんどコンビニ弁当の残り物、お陰様で痩せてたはずの体は15キロも肉がついてすっかりぽっちゃり体系だ。そんな俺の唯一の心のオアシスはアンドロイドアイドルグループの〝一人〝、【琴音】ちゃん、のみで。童貞だって彼女に捧げたのだ。(捧げたと自分が思ったら捧げたことになる)。 そんな俺をよく知る竜也に、「女と酒飲んで潰れて帰った」なんて言ったら、大方反応の予想はつく。 「はあ?ちょっと待て、おまえ、そんなドラマみたいなシチュエーションで女に話しかけた上に女の方から飲みに誘われて、酔い潰れて帰ってほとんど記憶がないってーのか???」 言ってしまった。 「………ぷ………あははははは!!やっぱ最高だなおまえ。くくくくく」 「なにもそんなに笑わなくてもいいだろ」 「いやだってさ、なんからしいっていうか。せっかくのチャンスだったのになぁ。で、可愛かったのか?その女。」 「え?う…うん。」 あの顔…琴音ちゃんに良く似ていたあの瞳、唇…。 朝陽は壊れた琴音ちゃんの顔へ視線を流した。 「そうかぁ。連絡先、どうせ聞いてないんだろ」 「………多分、聞いてないね。」 「はぁ~。そっか。よほどべろんべろんに酔っぱらったんだな。まあ仕方ないか。店の雰囲気ってのは酔うし可愛い女の子目の前にして緊張してればなおさらだしな…あ、そうだ、おまえさ、来週の金曜の夜今日の埋め合わせしろよ。合コン、誘われてて。断れなくてさ。一緒に行ってくんない?頼むよ。」 (竜也と合コンはキツい) 朝陽はそう思いながらも、 「わかったよ。何時から?」 約束をすっぽかした罪悪感からしぶしぶそれを承諾した。 電話を切り、布団の上に置くと、無意識に撫でていた琴音ちゃんの瞳を見つめる。 「ごめんね、すぐ修理に出すからね。」 『わかりました、ありがとう、あさひさん』 琴音ちゃんの声が聴こえたような気がした。 ***** 夜、19時15分- まだ気持ちの悪さが続いていた朝陽は、居酒屋のバイトへ向かう途中のコンビニで、『二日酔いに!』と黄色い文字で書いてある小さなドリンク瓶を買い、店を出てすぐ一気に飲み干した。 その時、2、3台のパトカーが横を通り過ぎた。 続けて救急車と消防車も2台づつ通り過ぎ、鳴り止まないサイレンに眉間をしかめた。 (火事でもあったかな?) 遠くなっていく赤い光を暫く見つめると、カーキ色のリュックを担ぎなおして、その方向に歩き始める。(くそ、靴のヒモほどけたし!)結び直し歩き出す。 腕時計に目をやるとちょうど19時45分、すでに千鳥足のサラリーマンもいるが、飲食店の連なるこのエリアの夜はこれからといったところだ。 【マグロの解体ショウ 日曜 夜21時から 居酒屋サーカス団】 と書かれた看板の横を通り抜け、職員用の裏玄関から中へ入る。 看板の通り、今日はこの【居酒屋万々歳】で、〝居酒屋サーカス団〝という団体(5人組)がマグロの解体ショウを行うためにこれからやってくる予定だ。この催しはこの居酒屋の大目玉なので毎回大忙しになる。(よりによってこんな時にこれかよ)朝陽はますます心が沈んだ。 ―ところが、時間になっても〝サーカス団〝は現れなかった。 「お客入っちまってるよ。困ったね。連絡もつかないんだよ。誰か、個人的に連絡とってる子いない?」 店長が慌てふためきながら声を荒げ騒いでいる。そりゃそうだ。店内は満員御礼状態、これでドタキャンはしんどい。 「あ、あたし一人の電話番号知ってるかも~」 くるっとさせた毛先をピンク色に染めている美大生のアルバイトの女の子、村田菜摘、通称なっちゃんがそう言いながら、腕時計式のスマホをいじり始めた。青いホログラムの中を可愛らしいユニコーンが走り、数字の羅列を映し出した。 「なんかあの男のひと?髪長めの~黒髪の~まっちょ?アハ。聞かれたんだよね。番号。ちょっちかけてみま~す。」 「ああ、お願い!」 嫌だね、出てくれないかな。まいったな。あと一時間もないよ。そう言いながら、店長はこめかみを伝う汗を手の甲で拭った。 「…出ないっす」 バツの悪そうな声でそう言うなっちゃんに、辛辣な面持ちで「仕方ないかな、中止かな」と肩を落としながら言った店長の声に被せて、男の声がした。 全員振り返った。 「お話があるのですが」 そう言って男は警察手帳を広げた。 ***** 【居酒屋サーカス団メンバー佐伯元則(21)沖田百枝(19)五十嵐純一(23)堤和樹(21)名倉真子(22)が、東京都川善の繁華街で死体となって発見されました。全員目立った外傷はなく、死因は不明ですが、現在事件事故の両面で捜査しています。】 次の日、朝のニュースでサーカス団全員死亡の事件が報道された。 あのあと結局暖簾を下ろし、軽く事情聴取を受け帰宅すると、激しい睡魔に襲われそのまま眠りについてしまったようだ。目覚ましの音楽で目が覚め、のろのろと起きてテレビをつけた。 全員まだまだ将来有望な若者だった。そう思うとそぞろに感傷的な気持ちになる。 少しぞわりとするのは、“死因不明”という部分のせいか。 全員の死因がよくわからないなど初めて耳にしたものだ。この10年で時代もだいぶ進み、事件事故の検挙率も死因究明の解剖率も飛躍的に進歩したらしいと以前竜也が話していた。彼の叔父は警視庁のお偉いさんで話をよく聞くらしい。 全員心臓発作などありえないし、新手の薬物や毒物の可能性はどうだろうか。 朝陽はまるで新米刑事のように推理をし始めたが、もちろん推理小説や推理ドラマが好きなだけの一般人なのでどんなに考えても答えはでない。しかし、さっきの物悲しさがちょっとした高揚感に変化している事に気づくと、一気にうんざりした。 醜い。なんて自分は醜いんだ。 人の【死】が目の前にあるというのに、謎が多いからといって楽しんでしまっている自分がいる。これは小説でもドラマでもましてやゲームでもないというのに。 せめて『残酷』な気持ちを抑え理性を保ちながら、高貴に生きなければ、自分などただの豚、いやゴミでしかないではないか。『人間』なのだ。 時々そんな風に思い直す。 そのほんの小さな違和感が、時々怪物のように思える時があるのだ。 はてな にんげん???きた ない いきものね???だからね、きれいな そんげん を忘れずに。 くるよくるよ。くろいうまが。きてしまうんだ。しってるかい??? くろいうまはボク。ボクたちはみんな、しゅうじんなんだ。しゅうじんなんだ。 おおきな おおきな へや。おおきなおおきな あおい へや。きれいなきれいな ところ。きれいな ところ。??? みてる。かみさま みてる。??? おもいね おもいね よかったね。 ??? わらうな わらうな にげろ にげろ。??? にげたら らくえん。???くろいうまは どこへいく。??? 昔…小さな頃、どこかで読んだ絵本の1節だ。なんだか支離滅裂な言葉の羅列が印象深く、妙な気味の悪さが残った記憶がある。後味が悪い感じだ。文章からいって、子供が書いたのかもしれない。けれど、ずっと記憶の片隅に存在していた。 朝陽はふとその絵本を思い出し、移ろう感情は鬱々としたものに落ち着いた。 僕たちはみんな囚人、か。そうかもしれないな。 朝陽はそう思いながら今にも壊れそうな椅子に座ると、 「早く琴音ちゃんに会いたい…」 と呟いた。
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