二章 恋人役のお仕事

6/16
前へ
/50ページ
次へ
「どうやって、家族に会わせればいいんだろう……」  ジュニーとトビンが絵本を読んでいるのを眺めながら、わたしは頭を抱えた。  二人の読んでいる絵本はぼろぼろだし、服は(つぎ)だらけ。  我が家は、嵐がきたら壊れてしまいそうなほどにボロい。家に王子を招待するわけにはいかない。しかしだからといって、ジュニーとトビンを王子の屋敷に連れていってもいいものか悩む。 「それに……お母さんのことは、どうしよう……」  母は家を出て行ったきり、帰ってこない。  父が生きていた頃の母は優しかった。父が病弱だったから貧乏ではあったけれど、「お金がなくても、家族仲がいいのが一番よ!」と明るく笑っていた。  けれど父が亡くなり、アーロンと付き合うようになってから母は、服装も化粧も派手になった。イライラすることが多くなり、お酒の量が増えて、煙草を吸うようになった。  母は、付き合う男性の色に染まりやすいのかもしれない。  心が重くなってテーブルに突っ伏していると、ジュニーが叫んだ。 「お姉ちゃん! 怖いおじさんが来た!!」  ジュニーとトビンに家から絶対に出てこないよう言い聞かせ、すぐさま封筒を手にして外に出る。 「よお、嬢ちゃん。お出迎えとは感心なこった」  四角い顔の中年男が片手を上げた。その男の隣には、目つきの悪い二十代後半ぐらいの男がいる。  派手なシャツを着た、いかつい男二人を前にして足が震える。  それでもわたしは奥歯を噛みしめ、足を踏み出した。四角い顔の男に封筒を差しだす。 「借金を全額お返しします!!」  男はわたしをチラッと見ると、やけにゆっくりとした手つきで、封筒の中身を確認した。 「ははっ! まさか、一度で大金を用意できるとはね。驚いた。だが、嬢ちゃんは利子を忘れている」  目つきの悪い男が、借用書を広げて見せた。利子の欄に記入してある金額に、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。 「うそ……こんなお金、払えません……」 「ゴラァッ! 借りた金が払えねぇなんて、甘えたこと言ってんじゃねぇぞっ!!」  目つきの悪い男が腕を振り上げた。わたしは反射的に後ずさりし、恐怖を和らげるためなのか、服の上から胸元を掻きむしった。 「こんなに利子がつくなんて……へ、変です……」 「あぁっ⁉︎ なんだって? もう一度大声で言ってみろっ!!」 「あ、あの、あの、待ってください。給料が出たら……」  四角い顔の男は身を乗り出すと、わたしの顔の横で鼻にかかった笑いをした。煙草臭い息が頬にかかり、その不快さにわたしは顔を背けた。 「時間が経てば経つほどに、雪だるまのようにどんどん利子が増えていくぜ。嬢ちゃんの給料では返すのが大変だ。おじさんが助けてやろうか?」  男は気味の悪い猫撫で声でそう言うと、いきなりわたしの顎を掴んだ。無理矢理に男のほうを向かせられる。 「ぱっと見は地味だが、なかなかに可愛い顔をしている。化粧をしたら化けそうだ。俺がいい仕事を紹介してやる。なあに、簡単な仕事だ。足を開くだけでいい」 「それって、どんな仕事……」  男がわたしの耳に、卑猥な言葉を吹き込んだ。  一瞬で血の気が引き、まともに立っていられない。けれどわたしを逃さないためなのか、男がわたしの腕を掴んで離さない。 「む、むりです……そんなこと、できません。あの、待ってください……」 「待たない」 「一日だけでもいいです、少しだけ待ってください! あの、あの、考える時間をください!!」 「まぁ、俺は悪魔じゃないからな。一日だけ考える時間をやってもいいぜ」  男はわたしの腕を掴んだまま、目つきの悪い男に目をやった。 「家の中に妹がいるはずだ。連れて来い」 「妹になにをする気ですか!!」 「待ってやる代わりの人質ってヤツだ。なあに、手荒なことはしない。可愛がってやるだけだ」 「やめてくださいっ!! 妹に手は出さないで! ひどいことをしないで!!」  男の長い爪が腕に食い込んで痛い。その痛みが、皮肉なことにわたしを現実世界に繋ぎ止めている。悪夢のような目の前の出来事は、決して幻でも夢でもないのだと、男の与える痛みが突きつける。 「十分以内に荷物をまとめて来い。そしたら、妹のことは見逃してやる」  どうしてこんなことになってしまったのだろう。  アルオニア王子から前払いしてもらった給料で、借金を終わらせることができるはずだった。借金の恐怖から解放される目前で、蟻地獄に落ちてしまった。不幸から抜け出せない。  ——助けてっ!!  声にならない声で、叫ぶ。アルオニア王子の笑顔が、脳裏に浮かんで、消えた。  言葉にできない叫びも、願いも、誰にも届くわけない。助けてもらえるわけ、ない。  これが運命なのだと諦めるしかない。妹と弟を守るために、わたしが耐えて我慢すればいいだけの話。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

562人が本棚に入れています
本棚に追加