二章 恋人役のお仕事

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 体育館のトイレを掃除していると、背後でドアが開閉する音とともに複数の足音が聞こえた。 「ちょっといいかしら?」  威圧的な声。振り向くと、そこには、シェリアとガーネットと友人二人がいた。友人らは手にボールを持っている。  嫌な予感に、手から力が抜ける。モップの柄が床のタイルに当たって、静かな空間に硬質な音が響いた。 「あなたって、アルオニアとどういう関係なわけ?」  シェリアは容姿も声も美しい。不機嫌に顔を歪めて睨む様にも、華がある。華といっても、かすみ草や白百合のような清楚なものではなく、毒を含んだ華なのだけれど……。  答えられずにうつむいていると、シェリアがイラついたように靴先を鳴らした。 「ガーネット。アルオニアが、この女の家から出てくるのを見たのよね?」 「はい! 間違いなく見ました。あんたって純情そうな顔をして、えげつないことをするのね。貧乏人アピールして、アルオニア様の同情心を誘ったんでしょう?」 「そんなことしません!」 「だったらどうして、アルオニア様があんたの家にいたわけ⁉︎」 「それは……」  胸に置いている手が震える。  シェリアは見下す目をしながらも、口元は微笑を浮かべた。 「下手くそな絵のことがきっかけで、親しくなったとか言わないわよねぇ? あなたって、貧乏で辛気臭くて、ドジでのろまで地味で。なんのために生きているわけ? 社会的価値のない人間を気にかけるなんて、彼ったらどうかしているわ。あなたも自分のことをそう思うでしょう?」  怒りを前面にだすガーネットとは違って、シェリアはこういう場でも優雅さを失わない。けれどわたしは、瞳に邪悪なものを光らせている彼女が怖くてたまらない。 「ねぇ、まさか付き合っているとか、そんなわけないわよね? どうなのよ? 答えなさい!」 「あ……」  恐怖のため喉が引き攣って、声がでない。だったらと、この場をやり過ごすために、無我夢中で頭を横に振る。  シェリアの口元から微笑が消えた。 「アルオニアがあなたを庇ったのは、気まぐれにすぎない。なんの意味もない。調子に乗らないでっ!!」  シェリアは、後ろに控えている友人三人をチラリと振り返った。 「この子が勘違いしないよう、私たちが身の程を分からせてあげましょう。……ガーネット。誰も入ってこないよう、ドアの前で見張って」 「わかりました」  いじめが待っているのがわかった。けれど、逃げようとは思わなかった。逃げようとしたら、もっとひどい目にあわされる。人形のように心を殺して嵐をやり過ごしたほうが、時間が短くて済む。  卑屈な考えをする自分に、悲しくなる。  わたしはどうして、耐えることを選んでしまうのだろう。我慢することばかり、覚えてしまったのだろう。  シェリアは腕組みを解かなかった。一切手を出すことなく、友人二人にやらせた。  シェリアに命令された友人らは、汚い言葉を使ってわたしにボールをぶつけた。さらに、トイレの床を拭くのに使っていたモップバケツの汚水を頭から浴びせた。  シェリアは「制裁」という言葉を使った。  けれどわたしは、悪いことをしたとは思っていない。わたしをいじめても、アルオニア王子の心は手に入らない。  しかしそれを口にすることはできず、されるがままに、理不尽な行為に耐えた。  シェリアたちが去り、わたしは洗面台に手をついて、嗚咽をこぼした。涙がポタポタとシンクに落ちる。  自分を哀れだと思ってしまえば、その途端に心がポキッと折れてしまいそうだった。  蛇口をひねり、強めに水をだす。バシャバシャと顔を洗って、濡れた顔を鏡に映した。目が赤い。 「こうなるって、分かっていた。それでも、お金が欲しくて恋人役の仕事を受けた。誰のせいでもない。わたしが選んだことだから……」  あえて強い言葉で、自分を鼓舞する。   「どんな仕事でも最善を尽くす。恋人役のプロを目指すって決めたんだから、最後まで彼女役をやり切る。こんなことで、へこたれたりなんかしないんだから!!」  自分の弱さが嫌いだ。そんな弱い自分を責める、自分も嫌いだ。  自分を好きになりたい。そのためにも、恋人役の仕事を引き受けたことを後悔なんてしたくない。
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