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劇が終わり、わたしたちはバルコニー席を出て、ゆっくりと階段を下りていく。
王子が、「肩肘の張らない、自然体でいられる関係っていいな……」と、ぽつりとこぼした。
一瞬、自分たちのことを言ったのかと錯覚してしまった。わたしも同じことを思っていたから——。
けれどすぐに、王子は芝居の感想を述べているだけだと思い直す。
「わたしもそう思います」
「リルエも?」
「はい。いいお芝居でした。前半は喧嘩ばかりでハラハラしましたが、互いにそのままの自分でいられるって、素敵な関係ですね。役者さんのお芝居が上手で、のめり込んでしまいました」
王子は妙な間を開けてから、「芝居の話ではなく……」と呟いた。劇を見終えた人々でロビーはごった返していて、王子の声はかき消されてしまった。
劇場を出たところで、ふと、左前方を見た。その瞬間、頭から冷や水を浴びせられたような恐怖が全身を駆け巡る。
——母の恋人であるアーロンが、いる。
楽しかった気分が一瞬で弾ける。
考えてみれば、ここにアーロンがいてもなんら不思議ではない。彼は売れない舞台俳優。今日の舞台に出ていなかったけれど、もしかしたら舞台裏で働いていたのかもしれないし、または客として劇を見に来ていたのかもしれない。
観劇デートに浮かれていて、アーロンの存在を忘れていたわたしが浅はかだった。
アーロンの顔には、悪い男の見本のような笑みが張りついている。アーロンの視線がわたしから、隣にいる王子に移った。
「早く行きましょう!!」
王子の返事も待たずに、わたしは駆け足で馬車乗り場に向かった。
エスコートしようとする王子の手を取ることなく、急いで馬車に乗り込む。
「どうしたの?」
突然態度がおかしくなったことを王子は訝しんだが、わたしはなんでもないと言って、口を閉ざした。
張り詰めた静かさが、馬車の中に充満する。
王子の眼差しから、わたしが話すのを待っているのを感じる。けれどわたしは、アーロンのことも母のことも話したくない。
アーロンは人の顔と名前を覚えるのが得意だし、芸能通だ。わたしの隣にいたのが、エルニシア国のアルオニア王子だとわかったはず。
劇場前は、芝居を見終えた客たちであふれていた。アルオニア王子が、わたしの隣にたまたまいただけだと、そう思ってくれたらいいのだけれど……。
母にアルオニア王子のことを話し、お金をたかるように仕向けたら最悪だ。
アーロンはずる賢いし、口がうまい。母はアーロンに言いくるめられて、親戚中を回ってお金を借りたことがある。
親戚に借りたそのお金は母一人では返すことができなくて、結局わたしが学校を辞めて働くことになった。
わたしは柔らかな座席に背中をもたせて、視点の定まらない目で風景を眺めた。
王子は「困ったことがあれば言ってほしい。頼ってほしい」そう言ってくれた。
けれど、どう頼ればいいというのだろう。
母を恋人から引き離してほしい? アーロンの言いなりになっている母を叱ってほしい? 母がアルオニア王子の屋敷に行ってお金をせびっても、貸さないでほしい? 親戚から借りたお金をまだ全額返せていなくて、どうしたらいいでしょう?
王子の反応が怖くて、言えない。なにより、母のことで迷惑をかけたくない。
わたしは覚悟を決めると、重い口を開いた。
「恋人役の契約を、解消しませんか……」
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