三章 恋人役のレッスン

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 王子は以前、ジュニーとトビンに食事のマナーを教えてくれた。わたしも横で聞いていた。それを思い出しながら、ナイフとフォークを手に取る。 「カトラリーは外側から順番に。人差し指を添えて、リラックスした姿勢で」  隣に座ったジュニーが、口に出して確認している。  食事はゆったりとした雰囲気で進んだ。料理が運ばれて来るたびに喜ぶジュニーとトビンを、みんなが微笑ましく見ている。  そんな和やかな光景の中。ふと気づくと、グレースがわたしを見ている。眼鏡の奥にある射抜くような鋭い目が、わたしの一挙一動を観察している。試験を受けているような居心地の悪さ。  わたしはすっかり緊張してしまい、食事の味がわからなくなってしまった。  夕食後。ヴェサリスに人気(ひとけ)のない廊下に呼び出された。 「リルエさんに、嫌われマニュアルを授けます」 「え……えぇっ! 嫌われマニュアルですか⁉︎」  忘れていたわけではないけれど、ヴェサリスがなにも言ってこないから流れたものと思っていた。 「でも今日は、アルオニア様の誕生日ですが……」 「だからです。誕生日パーティーで失態を犯す。嫌われるのにピッタリです。この後、居間でダンスが行われますので、アルオニア様と踊ってください。そして、派手に転んでください」  戸惑って返事をできずにいると、「リルエさんは、アルオニア様の隣にいていい人間ではないとおしゃっていましたが、今でもそう思っていますか?」と尋ねられた。 「……はい。わたしでは不釣り合いだと……思っています……」  夕食が終わった直後。グレースに呼び止められた。厳格な雰囲気に合う、毅然とした声だった。 「あなたからは品格が感じられない。誰もがあなたのことを、教養のない庶民だと思うでしょう。どうしてアルオニアはあなたにこだわっているのか、理解できません」  アルオニア王子は、わたしにやさしくしてくれる。でもそれが周りの人の目にどう映っているのか、考えたことがなかった。  身分の差、育ちの違いというものは大きい。教養も品格もないわたしが、王子の隣にいていいはずがない。 「嫌われマニュアルを無理強いする気はありません。どうしますか?」  確認してきたヴェサリスに、わたしは躊躇いながらも、「やります」と決意を口にした。 「では、誰にもフォローできないほどに、大胆に転んでください。いいですね? 大胆かつ派手に転ぶのです」 「……頑張ります」 「音楽が始まりました。さ、行きましょう」  動けずにいるわたしの背中を、ヴェサリスが軽く押す。  砂のように容易く崩れそうな決意を抱えて、ダンスをしているみんなの中に飛び込んだ。
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