三章 恋人役のレッスン

13/14
556人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ
 わたしは家に帰らず、清掃の仕事も休んで、日夜レッスンと勉強に励んでいる。  ジュニーとトビンも屋敷に泊っていて、王子から勉強を教わったり、マッコンエルと遊んだりしている。二人は目をキラキラさせながら、「わたしたちも勉強を頑張るから、お姉ちゃんも頑張ってね!」と応援してくれる。  オルランジェがわたしの好物をシェフに伝えてくれて、食事は毎回わたしの好きなものが出る。  みんなが応援してくれるおかげで、大変でも、充実した毎日を過ごしている。    ◆◆◆  レッスンが始まって十日後。別れは突然やってきた。  グレースと庭を散歩していると、いきなり「今日の午後、エルニシアに帰ります」と告げられた。   「えっ! 今日ですか⁉︎ どうして……」  王子のパートナーとして、見込みがないと判断されたのではないか。  そんな悪い考えが頭をよぎる。  グレースの指が、わたしの額をちょんと突いた。厳しいグレース先生の突拍子もない行動に、驚く。  グレースの厳しい目つきがほんの少し和らいでいて、目尻に優しい皺ができている。 「あなたは、どうやったら自分に自信がもてるようになるのでしょう? 私が帰るのを、アルオニアの隣に立つ女性に相応しくないと判断されたからと思っているのではありませんか?」 「当たりです……」 「私は仕事を山ほど抱えていて、これ以上職場を離れていては、皆に迷惑をかける。ですから、帰らざるをえないのです」  グレースはわたしに向き合うと、威厳の中にも愛情深さをたたえた口調で話した。 「あなたは自分を責めるのが好きなようですが、褒められるものではありません。自分が可哀想ではありませんか? あなたはあなたなりに、一生懸命に生きている。心を中庸に保ちなさい。風のように自由にいるのです。ある一つの側面だけで判断せず、物事を多面的に見るのです」 「多面的……?」 「あなたは物覚えがいいわけではないし、不器用。緊張しやすいし、鈍いところもある。けれど、それがあなたのすべてではない。何度も繰り返せば、緊張せずに冷静に動けるようになるし、理解できたものは忘れない記憶力の良さもある。そしてなにより、根が素直。あなたは伸びる子です」 「先生……」  初めて、先生に褒められた。嬉しくて、頬を涙が伝う。 「先生のおかげです。教えてくださって、ありがとうございましたっ!!」 「私はいなくなりますが、毎日勉強を続けるように。ヴェサリスに逐一報告をするよう頼んでいます。少しでも怠けたら叱ってあげますから、覚悟なさい」 「はい! もっともっと頑張ります! 努力を続けます!!」 「今度会うときは、エルニシア語で話しましょう」  グレースは手を差しだした。握手をすると、グレースの手が見た目よりも柔らかくて温かいことに驚く。  物事は多面的。グレース先生は怖いけれど、毅然とした態度は美しく、博識で、揺るぎのない信念をもっている。尊敬できる女性。 「わたし、グレース先生のようになりたいです。先生はわたしの目標です」 「あなたが私のようになったら、アルオニアは困ってしまいます。あなたはあなたのままで、リルエ・ルイーニのままでいいのです」  先生がわたしの名前を呼んでくれた。嬉しくて大泣きするわたしに、叱咤が飛ぶ。 「人前で涙を見せるべきではありません。引っ込めなさい!」 「は、はいっ!」 「吃らない!」 「はいっ!!」  わたしは泣き顔で見送り、グレースは晴れやかな顔で帰っていった。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!