三章 恋人役のレッスン

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 わたしは努力を続けた。  頻繁に鏡を見ては姿勢を正し、笑顔の練習をする。各国の歴史や宗教を勉強し、厳格な文法が曲者のエルニシア語を学び、自分を責めないよう言い聞かせる。  けれど、ダンスは独学ではできない。ヴェサリスは日中ダンスレッスンしてくれるけれど、夜は付き合ってくれない。 「わたくしは、六十五歳です。申し訳ありませんが、夜は体を休めたいのです。そうでないと、翌日の業務に支障がでます。代わりに、マッコンエルにパートナーになってくれるよう頼んであげましょう」 「マッコンエルさんも、ダンスができるのですか⁉︎」  ヴェサリスは、お茶目顔でウインクをした。  ダンスホールにある鏡で動きをチェックしていると、出入り口の扉が開いた。   「リルエ、お待たせ」  入ってきたのは、アルオニア王子だった。 「えっ! どうして……」 「ヴェサリスからの伝言。驚いて、目が覚めましたか? だそうだ。眠かったの?」  時刻は、夜九時。決して遅い時間ではないけれど、疲労が溜まって、何度かあくびをしていた。こっそりあくびをしたつもりが、ヴェサリスに見られていたらしい。 「全然!! まったく眠くないです!!」 「そう? なら、ダンスしよう」  王子と二人きりで過ごすのは、三週間ぶり。疲れが一気に吹き飛んで、胸がそわそわと踊る。  王子は音楽をかけた。 「お姫様、お手をどうぞ」  王子のすらりとした美しい手に、指先を乗せる。  ゆったりとした音楽に乗り、ステップを踏む。右に左に、前方に後ろに。  アルオニア王子のリードは完璧だった。わたしは身を委ね、王子を感じ、音楽を感じ、身体を感じ、呼吸を感じ、自分の内にある情熱のままに、軽やかに跳ねる。  ターンを三回繰り返したのち、王子の手が腰に回され、わたしは足をピタリと止めた。  王子のアメジスト色の瞳がわたしを捉え、わたしも王子を見つめ返す。  音楽が止んだ。  満足のいくダンスができたことに、歓喜の笑みがこぼれる。 「すごいっ!! すごいです! こんなに楽しく踊れたの初めて! アルオニア様はダンスがお上手ですね!」 「リルエこそ、とても上手で驚いた。ここまでくるのは相当にしんどかったんじゃない?」 「大丈夫です。わたし、体力には自信があるんです。この感覚を忘れないために、もう一回踊りましょう!」  音楽をかけに行こうとするわたしの手首を、王子が掴んだ。 「無理はよくない! 倒れるんじゃないかと心配なんだ。今日はこれで終わろう」 「でも、時間がないんです。グレース先生が言っていました。わたしの振る舞いがアルオニア様の評判に繋がるって。恥をかかせたくないんです。後悔しないためにも、今できることを精一杯にやりたいんです!」 「リルエ……僕のために、そこまでして……」  わたしは冗談を言うときのような明るさで、笑ってみせる。 「わたしがダンスで派手に転んだら、困るのはアルオニア様ですよ! わたしは社交会に出ないからいいですけれど、アルオニア様は今後も社交会に出るのでしょう? 恥ずかしい思いをしないためにも、あと十回は踊りましょう!」 「あははっ! 十回ね。いいよ」  王子の表情が緩む。笑うと目がなくなる彼の笑顔を愛おしく思いながら、わたしは音楽をかけた。  アルオニア王子とのダンスは楽しくて、彼といられる時間がとても幸せで、この時間がずっと続けばいいのに……と願ってしまった。
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