一章 王子様との出会い

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 意味が飲み込めなくて、言葉がつかえる。 「……どういう、こと、ですか……?」 「そのままの意味だけど? どんな仕事でもすると言ったのは君だろう?」 「そうです、けれど……」  僕の彼女になってよ——。言葉だけを聞けば愛の告白のようだけれど、王子は無表情だし、アメシスト色の瞳はまるでガラス玉のように感情を映していない。  わたしの戸惑いが伝わったのか、王子は面倒くさそうに言葉を加えた。 「君がどんな仕事でもすると言ったから、仕事を振っただけだ。好意の類は一切ない。卒業までの四ヶ月、僕の恋人のふりをしてほしい。それが仕事だ」 「アルオニア様……」  執事が、感極まったように名前を呼んだ。執事が感動している理由が分からない。  わたしは頭が真っ白になってしまって、恋人のふりをするというおかしな仕事をどう受け止め、どのような返答をしたらいいのか考えがまとまらない。  黙り込んだままのわたしに、王子はイラッとしたらしい。語気を強めた。 「ただの女除けだ。両親と国民がうるさくてね。それに大学のほうも、いろいろと面倒なんで。君、仕事はなんでも一生懸命にやるんだろう?」 「あ……」  あ……、の後に続く言葉を王子は待ってくれた。  けれどわたしは、恋愛経験がないから恋人のふりなんてできないと思う。と、喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込んだ。  どんな仕事でも一生懸命に頑張ると訴えたばかりなのに、できないなんて言うのはおかしい。  再び黙りこくってしまったわたしに、王子は目を細めた。 「ああ、そうか。給料のことが気がかりなんだろう? この国の平均月収の十倍は出すよ。これで満足かい?」 「十倍だなんて! そ、そんなには……」 「前払いしてもいい。お金が入用なんだろう? 違う? そう思ったのだが……」  半乾きのスカートを握りしめる。  給料を前払いでもらえるなら、借金を早く返せる。おまけに平均月収の十倍だなんて、夢のような話だ。  けれど……仕事とはいえ、わたしに大国エルニシアの王子様の恋人役が務まるのだろうか? 「少し、考えさせてください……」  王子は短く息を吐くと、執事に声をかけた。   「ヴェサリス。マッコンエルに、彼女を家まで送るよう言ってくれ。……そういえば、君の名は?」 「リルエです。リルエ・ルイーニ」  王子は特に反応を示すことなく、屋敷の中へと入っていった。    温和な顔をした執事の名前は、ヴェサリス。  ヴェサリスは、体格のいい青年を呼んできた。青年はわたしの姿を見るや、開口一番に叫んだ。 「うわっ! ずぶ濡れ! しかも顔に泥がついているし!!」 「こら、マッコンエル。失礼な物言いは控えなさい」 「いやいや、本当のことだから。右頬に泥がついている」  顔に泥がついている⁉︎  顔から火が出そうなほどに恥ずかしい。右頬をゴシゴシと擦る。 「教えてくれたらよかったのに……」  アルオニア王子に対して、恨みがましい気持ちになる。  王子の性格がよく分からない。    マッコンエルは、二十代後半ぐらいの威勢のいい青年。彼の仕事は、御者。  自分で帰れます。と何度も言ったのだけれど、王子の命令だからと馬車に乗せられた。  ヴェサリス執事も隣に乗り込む。  帰る道すがら、ヴェサリスは王子が恋人役を求めている理由を教えてくれた。 「アルオニア様にはお兄様がいるのですが、自由奔放な方でして。無断で外国に行くような方なのです。女王陛下もアルオニア様の御両親も、お兄様よりアルオニア様に期待を寄せられています。またエルニシア国民からは、婚約者を早く見つけてもらいたいとの声が年々強くなっています。それだけアルオニア様は注目を集めておりまして、重圧はいかほどかと察します」 「そうなんですか……」  馬車には屋根がない。御者席からマッコンエルが、口ずさむような気軽さで話に入ってきた。 「大学でも大変みたいです。卒業パーティーのダンスパートナーを巡って、女の子たちが火花を散らしているそうで。アルオニア様は誰も選びたくないし、ダンスもしたくもないと、愚痴をこぼしていました」 「女除けって……そういうこと?」  アルオニア王子が、仮初の恋人役を求めている事情が分かった。卒業パーティーのダンスを断る口実として、後腐れのない、ビジネス関係の恋人を必要としているのだ。  けれど……。 「なんでそれが、わたしなのでしょうか? 恋人のふりをするのは、わたしじゃなくてもいいと思うのですが……」 「仕事を求めていたあなたと、期間限定の恋人役を求めていたアルオニア様の利害関係が一致した。そういうことでしょう。それと……」  ヴェサリス執事は目元を和らげた。 「あなたに何かを感じたのでしょう」 「何かとは?」 「濡れた服と顔に泥をつけた若い女性が、邸宅の玄関扉を叩いて仕事を懇願するなど初めて見ました。面接の約束をしたにも関わらず、わたくしが断ったのは、怪しい女性だと思ったからです」 「す、すみません。あのときは頭が面接でいっぱいになっていて、どうかしていました……」  ヴェサリス執事はおもしろくてたまらないというように、快活な笑い声をあげた。けれどわたしは恥ずかしくて、笑うどころではない。 「わたくしは、アルオニア様があなたに興味を示した理由が理解できます。あなたには、アルオニア様にはないひたむきさがある。そのひたむきさが、少々ずれているようですが……。だがそれがかえって、アルオニア様の関心を引いた。わたくしは幼き頃から仕えていますが、あの方は人に関心を示すことがない。仮初の恋人役だとしても、わたくしは嬉しいのです。アルオニア様が初めて、他人を求めた。わたくしたちはあなたに全面的に協力します。一緒に頑張りましょう」  馬車はゆっくりと速度を落として、家の前に着いた。  わたしは去っていく馬車を見送りながら、ため息をついたのだった。
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