悋気と絆し

1/1
前へ
/4ページ
次へ

悋気と絆し

 宇治に入った藤原頼通のもとに,摂津守危篤を告げる急使の馬の達したのは亥の刻を大分過ぎたころである。従三位参議の別荘まで目睫の間であった。  役目をそつなく果たし,親の代から尽力してくれた忠義の家臣であった。ただ心のうちを常に閉ざしているような性質の保有者であり,かなり年上であるという理由とは別に,臣下ながら扱いにくい印象を抱いてもいた。正直なところ苦手な相手である。  何よりも,月光を帯びて妖艶にさえ映る甍の垣間見えるこの地点で都へ戻りたくはなかった。一度案内を請うてからとも考えたが,そうなれば宇治を発つ決意は忽ち消失するに違いない。あの者に礼を尽くせという父の切なる遺言がまたしても蘇る。清原 元輔(もとすけ)の詠じた歌を本歌として「 契りきな……」と滾りかえる情念をぶつける。本歌は『小倉百人一首』に所収される,かの名歌である。  麗しき公達を白昼の宮廷にて打擲し二目と見られぬ容姿に陥れた。想い人は恐れ戦き,逃避したきり蟄居したまま再三の招きにも応じない。  気づけば公務をなげうって宇治へと続く九十九折を駆け抜けていた―― 「参議殿へ……」と乳母子に歌を託し,来たばかりの道を引き返す。許すまじ許すまじ……  頼通が面会したとき,昏睡状態にあった摂津守は俄に目覚めた。しかし意識が混濁し,頼通を道長と誤認しているようである。身を起こせぬ為体に恥じいり,繰り返し無礼を詫びる摂津守を宥め,その錯乱に調子をあわせるうちに,ふと一計を案じてみよかという思いが頼通のなかにわいた。  父道長が臨終の日に摂津守だけを残し,人払いしたことがあった。あの折2人は何を談義したのか…… 「思い出されますな」頼通は父を演じた。「かつては私が今の保昌殿のように詫び続けたのです。腫れ物がひかず,震えのやまぬのも,犯した罪の罰を受けているものと悔恨の情に駆られて――」 「また,さようなことを……恨んでなどござりませぬ。私と父は言うまでもなく当然弟も――家のため承知の上で一切を受けいれたのです。御奉公の暁に家長の私は繁栄を御約束いただき現在に至りまする」 「……もしや,本朝一の武略家として名を馳せた保輔殿は摂関家を守るために諸々の悪事を立ち働いたのか?」  老人の両眼にかかる膜じみたものが一瞬にして払拭され,漆黒の瞳が清浄な輝きを復活させた。頼通は疑念に対する答えを幾度も求めたが,摂津守は歯のない口中を閉ざし,皺まみれの口もとに柔和な笑みを湛えると,やがて暇乞いして鼾を搔きはじめた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加