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「きゃ~!ママ!駅前に吉○リョウがロケで来てるんだって!」
二人で犬の散歩をしている途中で、娘がスマホを見て叫んだ。
「悪いけど、私そっち行くっ。コウジロウの散歩の続きよろしく!」
そして、私と飼い犬のコウジロウを置いて、駅のほうに走って行ってしまった。
今年の春に社会人になった娘は、昨日、久しぶりに帰省してきていた。
新人研修が終わった7月に、地方支社勤務が言い渡されて、支社の近くにアパートを借りて一人暮らしするようになったのだ。
アパートは社宅扱いにしてもらっているらしいが。
今日は久しぶりに、娘がかわいがっている(はずの)飼い犬の散歩を親子でしていたのだが、その途中で芸能人の出現情報を得た娘は、愛犬と私を置いて行ってしまった。
「まあ、いいけどさ」
コウジロウの顔を見て言ってみる。
「お前も不憫だね。途中でふられちゃうなんて」
思えば、あの子は小さい頃、自分の興味があるものを見つけると、つないでいる私の手を振り払って、そっちに走って行ってしまうような子だった。
近所の公園や、休みの日に連れて行った動物園や遊園地で、「ブランコに乗る!」とか、「ゾウさんだ!」、「ソフトクリーム食べたい!」なんて叫んで、いきなり走り出した。
私と夫は大変だった。
周りの人に「すみません~」と謝りつつ、「危ないから一人で走って行っちゃダメ~」と、必死で娘の後を追いかけた。
あの頃は私も若かった。
しかし、この年になって、社会人になった娘から昔と同じことをされるとは。
あの頃と違って、娘を追いかけるつもりはもうないけれど。
そんなことを考えながら、ぼんやりしていたからだと思う。持っていたはずのコウジロウのリードが、手からすべり落ちた。
地面の上に、ぽたりと音を立ててリードが落ちる。
「あっ」
しまったと思った瞬間には、もう遅かった。
一瞬ではあるが、コウジロウの目が野性的な光を放った。
そして、コウジロウの奴は一目散に走り出した。
「えっ、うそっ。ちょっと待って!!」
コウジロウは、決して利口ではない。
性格はやんちゃで、賑やかな場所が好き。運動が大好き。楽しくなると暴れて吠える。
つまり、喜んで暴れて、人様に迷惑をかけてしまう可能性があるような犬だ。
顔から血の気が引いた。
犬も私も、明日の朝刊に写真が載るかもしれない。
善良な人々の穏やかな生活を脅かした極悪犬と、その責任の所在である飼い主として。
「コウジロウ!戻ってきなさいっ」
私は必死で犬を追いかけた。
なんでうちの子は、どいつもこいつも、いきなり走り出す?!
誰に似た?誰が教えた?どこで覚えてきた―――?!
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