魔女狩り

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 いつの時代も「魔女」という存在は人々の注目を集める。特別な存在である魔女は、美しく、妖艶で、そして嫌われ者だ。魔女のいる時代には、必ず、魔女を狩る者がいる。  「では、賀田さん。この問題の答えを書きに来て下さい。」 最近、私は授業中に黒板まで出てチョークを手に取っている。私は心の中でため息をつく。ここ三ヶ月、自分の手が白くならなかった日はない。今もこちらに鋭い視線を向けている人物こそ、私のストレスの元凶である国語教師、豊川徳都美だ。豊川先生は、よく生徒に答えを書かせることで知られている。誰に何を書かせるかで、豊川先生の好みがはっきりと読み取れる。当てられない場合は蚊帳の外。名前を覚えられていないかもしれない。当てられたとしても、その中には二種類の人間が存在する。何を書いても褒められる人間と、何を書いても褒められない人間だ。私は自信を持って後者だといえる。毎日当てられ、正解しても必ず嫌味が付いてくる。回答はすぐに消され、模範解答で上書きされる。 「このような書き方では減点です。文章に込められた意図は正しい日本語で書き表すようにして下さい。分かりましたか?リーナさん。」 「里奈です。」 私はそれだけ言って自分の机へ戻る。 「返事がありませんよ、リーナさん。」 自分の間違いは直さないようだ。まぁ、本当に間違えてる訳じゃないんだろうけど。 「すみません。先生、ご指導ありがとうございます。」 一礼し、そのまま席に座る。 「まったく。日本人として、正しい日本語が使いこなせないようでは、いい成績は取れませんからね。」 こちらの方が全くだ。どうして私が毎度毎度嫌味を言われなければならないのだろうか。この日二度目のため息が口から出てしまいそうになったところで、正午を知らせる鐘の音が先生の話を遮った。 「では、今日の授業はここまで。明日もちゃんと予習してくるように。」 今日もまた、長い長い苦痛の時間が終わった。  「また今日はこっぴどくやられてたねぇ、リーナちゃん。」 自分の机で弁当を食べている私にそう話しかけてきたのは、同級生の細川玉子だ。明るい性格と髪色の持ち主で、同級生達からの人気が高い。私とは正反対のような存在だが、私の数少ない友人の一人である。 「いつものことよ。それと、その呼び方はやめてって言ってるでしょ。」 「そうやってクールにしてるけど、少しくらいしおらしい顔をした方がいいんじゃない?里奈が勝手に自分の席に戻った時は、私心配したんだから。」 「勝手にって、自分の席に自分で戻って何が悪いのよ。だいたい、人の名前をわざと言い間違えるようなやつの言うことなんか聞かなくていいのよ。ましてや、顔色をうかがうなんて。」 そう言って私は卵焼きを頬張る。彼女もかばんから昼食のサンドイッチを取り出した。椅子だけ動かして、私の机で一緒に食べるのが最近の習慣だ。 「細川はやっぱり卵サンドを食べるのか。」 また一人増えた。こちらも同級生の大林友造だ。卵と玉子を掛けていじっているのだろう。玉子は頬を膨らませている。 「別に私が卵を食べたっていいじゃない!」 「俺は食べちゃいけないなんて言ってないぜ。」 「じゃあからかわないでよ!」 「仕方ないだろう。髪だってたまご色に染めてるんだから。」 「私の髪の毛は金髪が地毛なの!」 彼女が怒るのも無理はない。彼女はポルトガル人の父親と日本人の母親を持つはーふなのだが、髪の毛以外に外国人らしさは見当たらない。しかも名前が細川玉子だから、入学当初は髪を染めるなと教師に厳しく注意されていた。 持ち前の明るい性格が無ければ、周囲から疎まれていたかもしれない。とは言っても、玉子の昼食がサンドイッチの時は毎回しているやりとりなので、そんなに声を張らなくてもいいのではと、心の中で思う。 「冗談はさておき、俺も心配して来たんだぜ、賀田。」 「あら、あなたも私にしおらしくしなさいって言うの?」 「お前が嫌がるのも分かるけど、俺たちはまだ一年生だ。教師に嫌われてあと二年間も楽しい学校生活が送れると思うのか?」 「自分に嘘をつくくらいなら、嫌われた方がマシだわ。私の気持ちが分かるって言うなら、一度もちゃんと名前で呼ばれない私の憤りに共感してよ。」 「そればっかりはなぁ。俺達は外国人の血が入っているけど、名前は典型的、というか古典的な日本人だからなぁ。」 先ほどまでのおどけた表情から一転して、私にすまなそうな顔を向ける。 私は、両親も祖父母も曾祖母も日本人だ。この学校の中では異質な存在であるにも関わらず、こうして分け隔て無く接してくれるだけでなく、私のことを思って申し訳なく感じてくれる。だからこそ、私は二人のことを心から友人だと思えるのだろう。名前が外国人風だからという理由で私をここに連れてきた上は愚の骨頂だと思うが、これが当たっているのだから馬鹿にはできない。いつの間にかサンドイッチを食べ終えた玉子が、ドロップ缶をカラカラと鳴らしながら、小さくぼやくように言った。 「ここを出たら、いつ襲われてもおかしくないんだよね。」  午後の授業も終わり、私は皆よりも一足先に校舎から出て寮へ歩いて帰る。既に日は西へ傾き、辺りを燃えるようなストラ色に染めている。私たちを閉じ込めている忌々しい灰色の壁は、私たちを守っているのだと、初めてここに来た時に豊川先生から言われた。「幼いあなたたちはここで守られ、正しく導かれて成長していくのだ」と。この理不尽な世の中を生き延びるために、誰かに屈しなければならないということは、頭の中で十分理解していた。しかし、気付いた時には私の手は額から胸へ、左肩から右肩へ交差していた。力を抜き、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。左手に持っていたカバンを地面に置く。身軽になった私は、寮を越え、壁を越え、夕陽に向かって、走り出した。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加