0人が本棚に入れています
本棚に追加
夕闇の下、赤信号に止まり、青地に鳥が描かれたSNSのアプリをタップする。
ここには多くの人の感情が溢れている。いつも通りだ。〈しごおわ〜、つかれた〉〈雨降ってきた!傘ないんだけど、やば〉〈今日の推しくんもかわいい♡〉〈石砕かなきゃ報酬SSR届かないよー!〉それらの言葉の上辺をなぞるようにスクロールさせていくと、見慣れたタマネギのアイコンが飛び込んできた。
やさいさんだ。
無意識に口元が緩む。さらにスクロールさせれば、彼女が新しく二次小説を投稿していたことがわかった。その内容は相変わらず素晴らしいようだ。やはり見慣れた貝のアイコンをつけた、帆立さんがコメントを送っていた。私もあとで読もうと、その小説に「いいね」をつける。そうこうしているうちに、信号は色を変えていた。スマホをポケットに突っ込み、青が点滅する横断歩道に飛び込む。やや早足で。再び赤になるのと、私が向こう側へ渡り切るのは、だいたい同じタイミングだった。
昔から、マンガやアニメやゲームが好きだった。話の余白を想像するのは、もっと好きだった。見よう見まねで小説を書いてみたりもした。でもそれはいじめの格好の餌食で。乙女チックと馬鹿にされ、妄想癖と罵られた。書いた小説は破られた。
だから隠した。人並みの適当な趣味を弄び、日々を無為に消費した。
だがある日。出逢ってしまった。
ただなんとなく始めたソシャゲだった。男の子たちがきらきらして羽ばたいていくのを見守るノベルゲーム。流行りのアイドル育成ゲームだった。
私はそのストーリーに恋をした。ストーリーの余白を綴った妄想をSNSに投げた。
そんな折、二次創作を知った。
きっと著作権の観点から見ればグレーゾーン。わかっていた。でも、のめり込んだ。
読んで、読んで、読んで。
読んで、読んで、読んで。
ストーリーの解釈を深め、ひとりまた余白に懸想する。SNSで呟く。そんな日々を重ねている中で、やさいさんと帆立さんと出逢った。やさいさんは小説を書く人で、帆立さんは絵を描く人だった。年齢も出身地も、顔さえ知らない。ただ同じゲームが好きなだけ。それでも旧来の友人のようだった。
ふたりはどういう風に思っているかはわからない。でも、私はSNS上で三人でおしゃべりしているのが心地よかった。
誰の意見も否定はせず。
すごいことには素直にすごいと言い。
ふたりの作品や私の妄想に〈きゃーきゃー〉と文字通りにタイムラインを騒がせる。
たまにタイムラインに現れるご飯の画像で、ふたりが生身の人間であると認識する。
私にとって、三人での時間は日常に溶け込んだ、もうひとつの日常だった。
でもそれは長く続くわけがない。
だって永遠はないから。
電車に乗り、いいねをつけておいたやさいさんの小説を読む。散りばめられた宝石を拾っているような文章は、美しいとしか言いようがなかった。ほぅ、と息を吐き、〈さいっこうでした!〉の一言と作品のURLを貼りつけて呟く。その瞬間、バイブレーションが通知を告げた。
「ユーザの皆さんへの大切なお知らせ」
嫌な予感がした。
そこに書かれていたのは、ソシャゲのサービス終了という内容で。どこかのテンプレートをコピペしたのか、覚えのある文章だった。
私はすぐさまSNSを起動し、〈え、うそ……〉と呟く。タイムラインをリフレッシュすれば、〈サ終!?嘘!?!〉〈課金額、いくら足りなかったんですか!運営さん〉〈え。いつまでならプレイできるの?〉〈後続の新アプリリリースとかじゃなくて???〉〈マ???〉次々と色んな人の感情が降り積もっていく。
そこからワンテンポ遅れて、やさいさんが〈そっかぁ〉と呟いた。帆立さんも〈残念だけど仕方ないか〉と綴っていた。
ふたりとも、ほかのジャンルで作品をかいているのは知っていた。履歴を漁ればたくさん出てくるから。
推しているゲームが同じだけの人。
共通点がなくなってしまえば、ただの他人になってしまう。
もうひとつの日常が泡沫のように消えてしまう。
嫌だった。
無闇矢鱈にスクロールしていると、なぜか数日前の呟きが現れた。このSNSではままあることだ。なぜか、時系列順に表示されないバグ。解消される気配は微塵もない。
〈鶏ちゃんも書けば良いのに〜!〉
〈帆立さんの言う通りだよ!いつも楽しい呟きしてるし、まとめたらSSとかにはなるんじゃないかな?〉
鶏というのは私のアカウント名だ。別に好きでもなんでもない。ただなんとなく、飛べない鳥が良かった。自分みたいで。
小心者なのだ。ずっと、幼い頃に浴びせられた言葉をに縛られている。私はもう大人なのに、飛べないでいる。あんな言葉はもう、錆びついているだろうに。
自分の中にも、小説を書いてみようかなという気はあった。だがそれを紙屑になった過去の記憶が引き止める。結局、ふたりのその呟きに、空リプで〈えー、私には無理ですよー〉と返すしかできなかった。
過去の自分に舌打ちしたかった。
でも、もうそんな気持ちでいられるわけがない。電車のドアが開いたと同時に走り出した。改札をくぐり抜け、駅前の歓楽街を駆ける。頭の中では「今しかない」という思いでいっぱいだった。
私は帰宅してすぐ、パソコンを起動した。鈍い音を立てるそれを叱咤し、文書アプリを開く。
書く、書く、書く。
書く、書く、書く。
体裁はこの際、どうでも良かった。
ただ、あの三人で一緒にいたい。私も同じ日常に在りたかった。
鶏の私は要らない。
飛びたかった。
キーボードを乱打し、どうにかこうにか小説を完成させる。そしてそれをネットに公開した。
〈初めて小説を書きました!サ終したって、私はこのゲームが大好きだー!〉
そしてSNSを起動させ、URLとともに呟く。ほぼ同時にふたつの「いいね」がつく。その反応を示すかのように、二回、赤いハートが点滅した。
最初のコメントを投稿しよう!