Nobody knows

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“それ”が現れるのは決まって夜中に目が覚めた時だ。ただ夜更かししたときに出てきたことはない。夜中、ふいに目が覚めてしばらく布団の中で目をつむったままでいても眠ることもできなくて、コーヒーでも飲みながらテレビでも見ようかとベッドを出て1階のキッチンに降りる。私にはカフェインはあまり効かないようで、何か飲みたいと思った時には就寝前でも、こんな真夜中だろうとコーヒーを選ぶことが多い。大学近くにある祖父母の残した一軒家に一人で越してきてもうすぐ一年が経つ。すっかりこの家にも一人での生活にも慣れてきていた頃だった。 蛍光灯から垂れ下がったひもを引くと、チカチカと何度か瞬いてから明かりがついて、闇が消えると“それ”が目に入った。キッチンの前に置かれたテーブルの、右奥の椅子に座っていた。初めて見た時にも驚きは不思議となかった。壁に時計が掛かっている、流し台の横に冷蔵庫がある、そして“それ”がいる、という風に何の違和感もなかった。“それ”は男のようにも女のようにも、この上なく美しくも醜くも、人間のようにも異形のもののようにも見えて、それのどれでもないようにも感じた。ただ、ずっと昔からの友のような親しみと安心感を抱いた。私は自分の分のコーヒーと、“それ”にも同じインスタントのコーヒーを入れてやった。飲めるのかどうかも分からないけれど湯気の立つカップを“それ”の前へ置いた。斜め向かいの席に私も座ってコーヒーを飲んだ。音もなく“それ”はカップに口をつけている。時計の秒針が進む音を聞きながらいつの間にか眠ってしまっていた。低い位置から差し込む朝の光の眩しさに目を覚ました。テーブルに突っ伏して眠ってしまっていたせいで腕がしびれていた。向かいの席を見たが“それ”はもういなかった。コーヒーカップは昨日置いたままの位置で、中身も私が入れたままの量が残っていた。その時は寝ぼけていたのだと結論付けたけれど、それから夜中に目が覚めてキッチンへ降りた時には必ずいた。何度か出くわしているうちに、目が覚めて外がまだ暗い時間だと分かると暖かな布団の中からためらいなく出ることができたのは“それ”に会えるのを待ちわびていたからだ。自分でもおかしいと思う。精神に異常をきたしているのだと明るい時間にはおかしいと思えるのに、夜になると一言も話すこともなくただそこに居る“それ”に会いたいと思うのだ。  週に2度のアルバイトと、1度のサークル活動に行くだけの退屈で長い大学生の春休みが終わってしまうと、忙しい毎日に夜中に目を覚ますことなく朝を迎えてばかりで、“それ”に会うこともなくなった。ぐっすり眠れているはずなのに気だるくて、朝起きてベッドから青い空が見えると、喪失感とまではいかない虚しさのようなものを覚える。  慌ただしく月日は過ぎて、就職活動をどうにか終えて迎えた人生最後の冬休み、私は“それ”と再会した。まだ見ることができたんだ、と最初に思った。ただ、前の時と姿は違って、その日は優しそうな老婆の姿をしていた。けれど“それ”と同一のものであるということは何故だか分かった。理由は無く説明もできないのに。そして、2日後に見たのは青年の姿だった。老婆を見た時、もしかしたら先祖の幽霊なんじゃないかと仮説立てていたが、その青年はどう見ても日本人ではなかった。薄茶色の巻き毛に彫りの深い顔、身に着けている服はかなり古い時代のもののようだ。純日本人顔の私にこんな先祖がいるとは思えない。どうして今回は老婆だったり異国の青年だったりと特徴を捉えられる姿で“それ”が現れるのか、何のためにまた現れるようになったのかも分からないことばかりだ。でも、また会えることがうれしかった。きっと次も今日とは違う姿で現れるのだろう。 どんな姿でも、それが何であろうとかまわない。変わらず“それ”はコーヒーを飲んで、私は“それ”の存在を感じながら安らかに眠るのだ。
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